杭州寒蘭なまえものがたり

  9、ちょっと酔ってまーす。


 古い花ですが、咲いたのはまだ二回位。
なかなかお目にかかれません。
「杏花村」(きょうかそん)のことです。
捧心に赤い色が鮮やかにのり、舌にはきれいな赤点が散っている、はなやかな雰囲気をもったサラサです。


 この名前は、中国で古くから愛唱されている「清明」
(せいめい)という詩からつけました。
晩唐の詩人、杜牧
(とぼく)の作と伝えられています。


   清明の時節 雨紛々
   路上の行人 魂を絶たんと欲す
   
借問(しゃもん)す 酒家は何処にありや?
   牧童 遥かに指さす杏花村


 
清明節は二十四節気の一つ
春分の日から15日目の4月5日か6日にあたり、先祖の墓参りに行く習わしになっています。


 
春雨がしとしとと降り、旅人は故郷を思い、故人を偲び、わびしい気分になりそう。
  
そこで「ちょっとお尋ねします。酒家はどこにあるのでしょうか。」
  
牧童は遠くの杏の花咲く村を指差した。)


というシンプルな詩です。


 この詩の杏の花が咲き乱れる華やかなイメージ、花弁のわずかなよれと棒心の赤さが、酒に酔っていい気持になっている様子を連想させて、「杏花村」と命名しました。


 杏花村という地名は、全国にいくつもあるそうですが、長江南岸にある安徽省
(あんきしょう)貴池県の杏花村だというのが有力です。
杜牧は池州(今の貴池)の刺吏(州長官)を務めたことがあったからです。
ここは今では工場地帯になって、杏の木は無くなってしまったようですが、杏花村の名をつけた銘酒の産地になっています。


 他に汾酒の産地、山西省汾陽県の杏花村も、ご当地だと主張しています。
こちらはラベルに清明の詩と牧童の絵を入れた汾酒を売り出しています。


 貴池市は唐代には秋浦
(しゅうほ)と呼ばれていました。
ここには奇岩、怪石の斉山と、風光明媚な清渓があって、歴代の詩人がよく訪れたところです。
特に晩年の李白が詠んだ「秋浦の歌」十七首は有名で、その第十五、



    白髪三千丈 愁
(うれい)によりて箇(かく)の似(ごと)く長し


はよく知られていますね。
田中さんが自分の青花に
「秋浦」(しゅうほ)と命名したそうです。


                             (2001/3/16)

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