◆◆ 7、名前の名前 [2] 花弁も舌も幅広く、たっぷりとした青花に、選別したHさんは「太公望」(たいこうぼう)と名付けました。 ゛太"という字からくる丸くて大きな花という連想と、釣り好きといえば水に関係があるので青花ということでしょうか。 名前から花のイメージが浮かんできますね。 釣り師のことを太公望といいますが、本来の太公望は、中国における軍師の始祖といわれる人です。 名前を呂尚(りょしょう)といって、中国古代、西周建国の際の功労者です。 古い時代の人ですから、詳しいことは謎ですが、小説の中では予知能力のある軍師として活躍します。 殷王朝の末期、呂尚は紂王(ちゅうおう)の暴政を避けるため、老年まで貧乏暮らしをしながら田舎で隠棲していました。 よく渭水(いすい)で釣りをしていましたが、3年間一匹の魚も釣れません。 近所の人は、「もう釣りはやめたほうがいい」といいますが、呂尚は全く気にしませんでした。 しかしある時大きな鯛を釣り上げます。 その腹の中から兵法の書がでてきました。 もちろん紙の無い時代ですから、骨に彫ったりしたものでしょう。 最古の兵法書というわけですね。 そのころ周の文王は、徳のある君主として人望がありました。 そして暴君の紂王に、人民が苦しめられていることには、いつも心を痛めていました。 なにしろ酒池肉林というのは、殷の紂王の乱脈ぶりからでた言葉なのですから。 ある夜文王の夢に、父の太公がでてきて、聖人にめぐり会うだろうと告げます。 そして呂尚という人物がが只者ではないという噂を耳にし、早速出かけてみると、やはり渭水で釣りをしている呂尚を見つけました。 文王は貧しい老人の呂尚に礼を尽くして、車に乗せ、連れ帰ります。 呂尚は、太公が望んでいた人物だということで、太公望と呼ばれるようになりました。 やがて周は武王の代になり、殷王朝を倒せ!という人々の声が次第に大きくわきあがります。 武王はついに紂王討伐を決意し、軍をおこしました。 そして軍師太公望らの活躍で殷王朝は滅び、周王朝がたてられました。 太公望は名宰相として周王朝を補佐し、斉王に封じられて国をよく治め、斉の始祖になりました。 (2001/2/18) |