杭州寒蘭なまえものがたり

  7、名前の名前 [2]


 
花弁も舌も幅広く、たっぷりとした青花に、選別したHさんは「太公望」(たいこうぼう)と名付けました
゛太"という字からくる丸くて大きな花という連想と、釣り好きといえば水に関係があるので青花ということでしょうか。
名前から花のイメージが浮かんできますね。


 釣り師のことを太公望といいますが、本来の太公望は、中国における軍師の始祖といわれる人です。
名前を呂尚(りょしょう)といって、中国古代、西周建国の際の功労者です。
古い時代の人ですから、詳しいことは謎ですが、小説の中では予知能力のある軍師として活躍します


 
殷王朝の末期、呂尚は紂王(ちゅうおう)の暴政を避けるため老年まで貧乏暮らしをしながら田舎で隠棲していました。
よく渭水(いすい)で釣りをしていましたが3年間一匹の魚も釣れません。
近所の人は、「もう釣りはやめたほうがいい」といいますが、呂尚は全く気にしませんでした。
しかしある時大きな鯛を釣り上げます。
その腹の中から兵法の書がでてきました。
もちろん紙の無い時代ですから、骨に彫ったりしたものでしょう。
最古の兵法書というわけですね。


 そのころ周の文王は徳のある君主として人望がありました。
そして暴君の紂王に、人民が苦しめられていることには、いつも心を痛めていました。
なにしろ酒池肉林というのは、殷の紂王の乱脈ぶりからでた言葉なのですから。


 
ある夜文王の夢に、父の太公がでてきて、聖人にめぐり会うだろうと告げます。
そして呂尚という人物がが只者ではないという噂を耳にし早速出かけてみると、やはり渭水で釣りをしている呂尚を見つけました
文王は貧しい老人の呂尚に礼を尽くして車に乗せ、連れ帰ります。
呂尚は、太公が望んでいた人物だということで、太公望と呼ばれるようになりました。


 やがて周は武王の代になり、殷王朝を倒せ!という人々の声が次第に大きくわきあがります。
武王はついに紂王討伐を決意し、軍をおこしました。
そして軍師太公望らの活躍で殷王朝は滅び、周王朝がたてられました。


 太公望は名宰相として周王朝を補佐し、斉王に封じられて国をよく治め、斉の始祖になりました。


                             
(2001/2/18)

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