32、始皇帝


 紀元前221年、戦国時代に終止符を打って初めて中国を統一したのが秦の始皇帝です。
そのとき「皇帝」という名称を初めて定めました。
「帝」というのはもともと天上で万物を主宰する絶対神のことで、地上の最高位は「王」でしたが、自分の手で滅ぼした韓、魏、趙、燕、楚、斉の王と同格の呼び名では、天下統一者の称号としてふさわしくないと考えたのです。


 それまでの周王朝は、豪族達がそれぞれ国を建てることを認めて、周の諸侯としての地位を保証し、一方諸侯は周王に貢物を捧げ、必要なときには軍隊を提供する義務を負うという封建制度でした。
始皇帝はそれを改め、郡県制をしいて強力な中央集権国家をつくりあげました。(日本と違って郡の下に県があります。)
それと共に民間にあった兵器をすべて没収し、今まで国ごとに異なっていた諸制度の統一も進めました。
文字、貨幣、度量衡、車軌、法律などです。


 その他万里の長城(今残っているものとは別)を築き、阿房宮とよばれる大宮殿の造営にも取りかかりました。
これは在世中には完成せず、秦が滅ぼされた時項羽によって焼き払われ、3ヶ月も燃え続けたといわれます。
又あの兵馬俑が発掘されて話題になった壮大な墓所驪山陵も、あまりに規模が大きすぎて二世皇帝に引き継がれました。
これら過度の土木工事の負担や、焚書坑儒など暴君の面が反発を呼び、秦は短期間で滅んだのですが、CHINAという国名のもとになったといわれる秦の始皇帝というのは、やはり大変な人物ですね。




 この始皇帝がまだ秦王政の時、13才で秦王の位について20年のことでした。
燕国(今の河北省易県)の易水のほとりでは、燕の太子丹が白衣白冠をまとった臣僚の一団を随え、涙ながらに秦王暗殺に向う壮士荊軻(けいか)を見送っていました。
司馬遷が史記の荊軻列伝で伝えるところでは、荊軻はもと衛国の人で読書と剣を好み、毎日筑の名手高漸離(こうぜんり)と燕国の盛り場で酒におぼれていたということです。
その頃燕の太子丹は、人質となっていた秦国を脱出して燕に逃げ帰っていました。
そして秦王を殺して囚われていた時の屈辱を晴らそうと、天下の勇士を呼び集めていました。


 太子はまず田光先生のもとを訪ねますが、田光が推薦したのが荊軻でした。
そして太子が国の機密だから漏らさぬようにと頼むと、田光はみずからの首をはね、義侠の意地を通したのです。
太子は荊軻を最高の賓客として迎え、立派な邸宅と美女を与え、山海の珍味でもてなしました。
荊軻は、「士は己を知る者のために死す。」と厚遇に報いる決心をします。


 警戒厳重な秦王に近づくことは不可能に思えましたが、偶々秦の将軍樊於期(はんおき)が秦王の怒りを買って燕国に亡命してきました。
秦王は樊於期の首に重い賞金をかけています。
荊軻はその首と燕国の地図を差し出すことで秦王に近づこうと考えました。
しかし樊於期を客として迎えている太子は同意しません。
そこで荊軻は樊於期を訪ねて計画を打ち明けます。
樊於期はこれを聞くと、喜んでみずからの首をはねました。


 その頃趙を滅ぼした秦は、次に燕を狙って動き出しました。
もうぐずぐずしてはいられません。
仲間の到着を待っていた荊軻でしたが、太子の用意した燕の勇士秦舞陽(しんぶよう)を助手に秦に向け出発することにしました。
出発の日太子丹をはじめ事情を知る人々は、二人の壮士を易水のほとりまで出て見送ります。
万が一にも生きて帰ることがないことは皆知っています。
駆けつけた親友高漸離の筑に合わせて荊軻は詠いました。
有名な「易水の歌」です。
     風蕭々として易水寒し、
     壮士ひとたび去って復還らず
     虎穴を探ってこう宮に入る、
     天を仰ぎ気を嘘(は)けば長き虹となる


 詩の途中で荊軻は天を仰ぎフーッと息を吐きました。
するとそれは一条の白い虹となって雲間にたちのぼり、太陽を貫いたといいます。
今でも中易水の南岸に北白虹、南白虹という二つの村があり、それはこのときから伝わる村名だということです。


 苦労の末咸陽宮での謁見にこぎつけた二人は、荊軻が樊於期の首を入れた箱を捧げ持ち、秦舞陽が匕首を巻き込んだ地図を捧げて宮中に入りました。
秦王はまず首を調べ、続いて地図を見ようとします。
顔面蒼白で震えている秦舞陽に代わって荊軻が地図を献上し、秦王が地図を開き終わった途端、毒を塗った匕首があらわれます。
荊軻はすかさず匕首をつかんで跳びかかったものの届かず、追いつ追われつの末長剣を抜いた秦王に斬られて傷を負います。
秦王に向って匕首を投げつけましたが、それて銅製の柱に突き刺さっただけ。
八箇所に深手を負った荊軻は柱に寄りかかったまま息絶えました。


 1998年の展示会にIさんが出品したサラサ素舌は、「白虹」(はっこう)と命名されました。


                             (2003/11/6)

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