31、論語


 2002年の杭州寒蘭展にMさんが出品したサラサは、淡く濁りの無い色合いと端正な花型で注目されました。
派手な花ではありませんが、すらりとした花弁とバランスのよい花間の上品な花に、いつも凝った名前をつけるMさんが孔子にちなんで「聞韶」(ぶんしょう)と命名しました。




 孔子は誰でも知っているように今からおよそ2千5百年前、春秋時代の末期に活躍した思想家ですね。
その言行をまとめたのが「論語」で、多くは「子曰ク」で始まる1〜2行の短い文章からなりたっています。
あらためて特に論語を読まない人も多いでしょうが、日常会話で無意識に使っている言葉にも出典は論語というものがたくさんあるくらい生活に浸透しています。


 春秋戦国時代というのは、中国の文化と思想が最初に花開いた時代といえるでしょう。
名高い思想家、英雄、故事名言などの大半はこの時代に生まれていますし、特に思想家はほとんどここで出尽くしてしまった感があります。
まさに思想史の黄金時代だったのですね。
その担い手はそれぞれ一家言をもつ「諸子百家」といわれる人達で、諸国を遊説して歩き、学問や技能に応じて軍師、宰相、大臣、将軍、参謀、官吏、食客となって活躍しました。


 孔子もそうした思想家の一人で、その教えを受け継いだ儒者によって聖人のように扱われてきましたが、本当はなかなかの苦労人でした。
紀元前552年魯の国に生まれた孔子は、幼いときに父を失い母の手で育てられ、その母も17歳の時に亡くなり、生活の苦労を味わいながら成人しました。
政治の世界を志してからも挫折続きで、遊説活動は失敗に終わり、ついに政治活動を断念して弟子の教育と「春秋」などの著作にに専念することになります。
あまりにも理想主義だった孔子は、富国強兵を図るため優秀な人材を求めるという各国には受け入れ難かったのでしょう。


 「論語」は孔子の死後、門人たちのメモや記憶、他の書物に引用されていたものなどを集めて記録したもので次の全二十篇からなっています。


1、学而(がくじ)  2、為政(いせい)  3、八?(はちいつ)  4、里仁(りじん)  5、公冶長(こうやちょう)  6、雍也(ようや)  7、述而(じゅつじ)  8、泰伯(たいはく)  9、子罕(しかん)  10、郷党(きょうとう)  11、先進(せんしん)  12、顔淵(がんえん)  13、子路(しろ)  14、憲問(けんもん)  15、衛霊公(えいれいこう)  16、季氏(きし)  17、陽貨(ようか)  18、微子(びし)  19、子張(しちょう)  20、尭曰(ぎょうえつ) 


この7、述而−13に


子在斉 聞韶楽三月、不知肉味、曰、不圖為楽之至於斯也


子、斉に在(いま)して、三月肉の味を知らず。曰く、図らざりき、楽を為すことの斯(ここ)に至らんとは。


 (先生は斉の国で数ヵ月の間韶の音楽を聞き[習われ、すっかり感動して]肉のうまみも解されなかった。そしておっしゃるには「思いもよらなかった。音楽というものがこれほど素晴らしいとは」
とあります。
この韶というのは「大韶(だいじょう)」「簫韶」ともいい、「韶」と略称。
周朝の「六代楽舞(六舞)」の一つで、虞舜のときの作といわれ、それで「韶虞」ともいわれるということです。


                             (2003/9/13)

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