28、孫子の兵法


 「常山の蛇勢」(じょうざんのだせい)という変わった名前のサラサ花があります。
命名したのは、「どこからこんな名前を考えついたのか」というような難しい名前をつけて、いつも皆を戸惑わせているMさん。
どこからかというと、兵法書のバイブル「孫子」に出てくる言葉でした。


 「孫子」十三篇は、中国で最も古い、最もすぐれた兵法書で、作者は春秋時代呉王闔閭(こうりょ)(なまえものがたり第4回参照)に仕えた将軍の孫武だとされてきましたが、最近では孫武から100年以上後の子孫、孫びんが、孫武の書いたものに書き加えた合作ではないかと考えられているようです。
勉強家だった魏の武帝(曹操)が註を書いたという「魏武注孫子」は、戦国時代以降、日本でも兵書のテキストとして尊重されました。




 「常山の蛇勢」とは孫子「九地篇」によると、
「戦の上手な人は、たとえば卒然(そつぜん)のようなものである。
卒然というのは常山にいる蛇のことである。
その頭を撃つと尾が助けにくるし、その尾を撃つと頭が助けにくるし、その腹を攻撃すると頭と尾とで一緒にかかって来る。」
とあって、一体となってまとまっている軍隊の例えとして登場します。
常山は、黄河の北、河北省曲陽県西北にある山で、五嶽の一つである北嶽恒山のことです。


 そしてこの文に続き、軍隊を卒然のようにする方法として挙げた一節が、「呉越同舟」という言葉の出典です。
「そもそも呉の国の人と越の国の人とは互いに憎みあう仲であるが、それでも、一緒に同じ船に乗って川を渡り、途中で大風に遭った場合には、彼らは左手と右手の関係のように密接に助け合うものである。」
 戦争の上手な人が、軍隊をまるで手を繋いでいるように一体にさせるのは、兵士達を戦うほかにどうしようもない条件に置いているからだと言っているのです。
「呉越同舟」を、今では単にいがみ合っている者同士が、一緒に居合わせるというように使いますが、本来はちょっとニュアンスが違いましたね。


 杭州寒蘭につけられた「常山の蛇勢」、Mさんの意図は、隙がなくまとまった花ということでしょうか。
別に「常山」(じょうざん)というKさんのサラサもあります。

                             (2003/5/21)

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