24、長江


 世界第三位、中国で最長の大河長江は、全長6380km。
チベット高原北東部のタングラ山脈を源流とするムルウス川と、青海省西部のココシリ山から流れるチュマ川が合流して通天河(つうてんが)となり、青海省の南で金沙江になります。この川が四川省の宜賓(ぎひん)から長江と呼ばれるようになるのです。
ここで岷江(びんこう)が大渡河を合流して注ぎ込むので、河幅は300mを越し、重慶で嘉陵江が合わさると、河幅は800mにもなります。
その後、武漢で漢江が流れ込むなど、次々と支流を呑みこんで、日本の感覚から言うと、海のような大河に成長していくわけです。
日本で馴染み深い揚子江というのは、揚州あたりの河口付近の呼び名で、河全体は長江といいます。


 中国寒蘭で名前がついているのはわずかで、当店では素心に「涼風」(りょうふう)、紅サラサに「紅彩」(こうさい)、そして青花に「大河」(たいが)の3点だけです。
「大河」は舌が大きくて巻かない青花大輪花で、緑の色も濃く花間もあって、迷わずこの名がつきました。
毎年堂々と咲いています。




 黒部ダムの260倍という三峡ダムが、2009年の完成をめどに建設が進められ、長江上流の景観は大きく変わろうとしています。
その前にというのでしょう、三峡下りがたくさんの観光客を集めているようです。


 重慶を過ぎて800mにまで河幅を広げた長江は、四川省と湖北省の境あたりに来ると、両岸に大巴山山系の2000m近い山々が迫る峡谷となり、河幅も100mほどに狭まります。
三峡というのはまさに三つの峡谷、上流から瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)のことで、前後にゆったりとした流れの部分も含め、重慶〜宜昌を二泊三日、重慶〜武漢は三泊四日かけて、水墨画のような景色を楽しみながら船で下ります。


 三峡の入り口瞿塘峡は、両岸とも水面から断崖が垂直にそそり立っていてその北側に白帝城が建っています。
呉と蜀の主戦場だった三峡には、他にも三国志関連の名所がたくさんあります。
白帝城のあるあたりは奉節といい、成都を離れた杜甫が三峡を下って洞庭湖、長沙に向かう前に舟を下りて2年近く滞在したところです。


 巫峡は巫山12峰と呼ばれる峰が両側に6峰ずつ、その中でも特に伝説に彩られた神女峰が美しく聳えています。
峡谷が途切れると又河幅が広がり、王昭君の故郷、興山県のある香渓が合流する辺りから、西陵峡が始まります。
深い峡谷、流れは複雑、三峡一の難所があるところで、三峡ダムはこの西陵峡のほぼ中央に建設中です。




 杜甫、「秋興」八首のうちの第一首。


   玉露凋傷(ちょうしょう)す  楓樹の林
   巫山巫峡 気 蕭森(しょうしん)
   江間の波浪 天を兼ねて湧き
   塞上の風雲 地に接して陰(くも)
   叢菊両(ふた)たび開く 他日の涙
   孤舟一えに繋ぐ 故園の心
   寒衣 処処 刀尺(とうせき)を催す
   白帝 城高くして暮砧(ぼちん)急なり


(玉なす露は、楓の林の紅葉をしぼませ、散らしていく。
巫山、巫峡の辺りには、静寂で厳粛な秋の気が立ちこめている。
長江の川波は、天までも届けと沸きかえり、とりでの辺りの風雲は地を這うばかりに低く、暗い影を落とす。
菊の叢が花を開くのを、私は放浪のうちに、これで二度見ることになった。
去年、菊を見て流した涙の思い出が、新しい涙と共に私の胸をふさぐ。
ただ1艘の舟を、私はひたすらに岸へと繋ぎとめている。
その舟に寄せるのは、故郷を思う心なのだ。
冬着の支度が始まる季節となった。
あちらでもこちらでも針仕事に追い立てられている。
暮れ残る白帝の城が高くそびえる下、夕べの砧の音ばかりが、せわしげに伝わってくる。)
―漢詩百景より―


 この詩の中に杭州寒蘭の名前がいくつあるでしょうか?
中国に詳しい山室さんが命名したのが、「玉露」(ぎょくろ)「巫山」(ふさん)
あとは前にもでた「白帝城」(はくていじょう)と、当店のものではありませんが「孤舟」(こしゅう)という名前もありました。


 巫峡の入り口で船を乗り換えて大寧河に入ると、龍門峡、巴霧峡、滴翠峡の小三峡と呼ばれる美しい景観のところがあり、特に滴翠峡は小三峡の美が集中するところといわれます。
肥田さんが青花に「滴翠」(てきすい)という名前をつけています。


                            (2002/10/24)

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