◆◆ 22、「嫦娥、月に奔(はし)る」 前回の神話の続きです。 嫦娥(こうが)は元々天上の女神だったのですが、夫のげい(羽の下に廾)が天帝の怒りをかった巻き添えで(21回参照)、二人とも天上に戻れなくなってしまいとても不満でした。 このまま地上で暮らすということは、やがては死ななくてはなりません。 そこで、げいは不老不死の薬を手に入れようと考えました。 崑崙山に西王母という仙女が住んでいて、不老不死の薬を持っています。 山頂に不死樹があるのですが、この樹は数千年に一度しか花が咲かず、実が実らず、なっても極めて数が少ないので、不老不死の薬を手に入れることはとても大変なのです。 その上この山は、水と火によって厳重に包囲されているので、西王母の処にたどり着くことはほとんど不可能なことでした。 しかしげいは必死ですから、何とかこの重囲を突破して山頂にたどり着き、やっとのことで西王母に会うことができたのです。 西王母は、 「薬はここに残っている二人分が最後のもの。夫婦一緒に飲めば二人とも不死になる。もし一人で飲めば、天に上って神になれる。」 と言いました。 げいは大喜びで手に入れた薬を家に持ち帰り、妻に預けて適当な祭日を選んで一緒に飲むつもりでいました。 ところが嫦娥は夫の留守にこの薬を全部飲んで、一人で月宮に上っていってしまったのです。
嫦娥はとても美しかったということですが、心まで美しくはなかったのですね。 なんだかとても人間的で、神話に出てくる女神のすることとは思えません。 こんなことをしたのですから、「月の都でしあわせに暮らしましたとさ。」と言うわけにはいかず、ひきがえるの姿になったとか、月宮での生活もあまり楽しいものではなく、後悔してもう一度夫の許に返してもらうように天帝に頼んだが聞き入れられなかったとか、伝説は色々に形を変えて様々の結末があるようです。 「嫦娥、月に奔る」という神話は京劇にもなっているそうです。 不死の薬を飲んだ美しい女性が飄々と月宮に飛んでいく話と聞くと、きれいな月の精というイメージですが、どうしてなかなかのものですね。
濃い緑に黒っぽい筋の入るサラサ素舌の超人気花「奔月」(ほんげつ)、 「今週の話題」(2002/8/18)でもとりあげましたね。 中国で名前がついて入ってきた数少ない花ですが、この神話からつけたものでしょう。 一方、黄さん命名の古い花で、「崑崙」(こんろん)と「月娥」(げつが)があります。 崑崙山はチベットとの境に連なる山脈ですが、古代の神話・伝説では西方にある想像上の高山ということになっています。 杭州寒蘭の「崑崙」は、捧心に覆輪は入らないものの、仙人の住む山の雰囲気を漂わせているような妖しい濃い色をしています。 「月娥」も濃いサラサですが、入ってからずいぶん長い年月が経つのに一向に増えない花です。 「月娥」(げつが)は月に住む美人、嫦娥をさしているようなので、「奔月」と同じ話からとった名前だと思うのですが、今では黄さんに確かめることはできません。 西王母は山頂にある瑶池にいることもあるし、崑崙山の西方にある、美玉のたくさん採れるという玉山にいることもあるといいます。 「玉山」(ぎょくざん)はHさんが命名しています。 (2002/9/8) |