杭州寒蘭なまえものがたり

    2、杭州たてよこ


 杭州寒蘭で私達に馴染みの深い杭州という地名、ここがこう呼ばれるようになったのは6世紀の終わり頃、隋の時代(日本では聖徳太子の頃)からです。
隋が4世紀にわたる分立の時代に終止符を打って天下を統一すると、首都を長安(現在の西安)に定め、地方の行政区画も大きく変えました。
その時からここの地名は杭州になりました。



 江南の地方は気候が温暖で、土地も肥え、豊かな資源に恵まれています。
この南方の物資を、北方にある政治の中心地に運ぶために隋の煬帝(ようだい)は大運河を造りました。
この運河はその後、商業の発展に大いに役立つことになるのですが、当時の民衆には苦役を強いるものでした。
又煬帝は、暴君としても、ローマ帝国のネロと並んで東西の横綱格です。
隋は統一後わずか30年で倒されてしまいました。


 次に唐の時代が約300年続きますが、唐が滅んだ後、再び天下は分裂します。
五代十国の時代です。
首都も開封(かいほう)に移されました。


 
やがて趙匡胤(ちょうきょういん)が、分裂した天下を統一して宋王朝を開きます。
しかし12世紀の初めに、北方の女真族が建てた金によって首都開封を陥とされ徽宗(きそう)皇帝以下3千人が捕らえられて北方に連れ去られてしまいました。


 
こうして宋が滅んだわけですがこの時、わずかに難を免れた皇子の一人が南に逃れ、一緒に長江を渡った人たちと、翌年宋王朝を再興しました。
これが南宋です。
そして南宋が首都に選んだのが今の杭州でした。
(当時は臨安府と呼ばれました。)


 南宋政権は、金に対して徹底抗戦を唱える派と、講和派の二つに分かれて争いました。
主戦派の岳飛は、金との戦いで活躍した名将ですが、結局講和派の秦桧(しんかい)が主導権を握り、戦果を挙げていた岳飛を無実の罪で投獄し、毒殺してしまいます。


 その後南宋は金と講和を結び、華北は金、華中と華南は南宋が領有することになりましたが、その講和は南宋にとって屈辱的なもので、金に対し、臣下の礼をとらなくてはなりませんでした。


 けれども杭州は豊かな平野で、海に面して港が開かれ、運河によって蘇州、長江とも連絡しているため交通の便が良く、南宋は貿易によって大いに栄えました。


 一方12世紀の末、モンゴルに現れた英雄チンギス汗によって、モンゴルは強大になり、ヨーロッパにまたがって領土を広げます。
そしてチンギス汗の死後、中国本土を攻め、金を滅ぼしてしまいました。


 孫のフビライの代に、モンゴルは中国大陸の征服に全力を傾け、北京を首都にして国名を元と称し、南宋を攻め続けます。
そしてついに1276年、元は杭州を占領し、幼帝や皇族を捕らえて北京に送ります。
ここで150年続いた南宋は滅亡したのです。
無血入城だったため、戦火を受けなかった杭州のまちは、その後も繁栄を続けました。


 ヴェニスの商人だった父、叔父と共に中国にやってきたマルコポーロは、このフビライの元に滞在し、フビライに気に入られて高官にとりたてられました。
元が中国全土を支配した後は、自由に諸国を歩きながら16年間中国に滞在し、「東方見聞録」を書いたというわけです。


 杭州寒蘭に「南宋」(なんそう)という青花があります。
緑の色が濃く、肉厚で、花型もよい秀花です。
青花は評価の眼が厳しいためか、なかなかこれで決まりというものがありませんが、「南宋」は候補の一つとして期待されている花です。
作落ちしたため、なかなか本咲きの花が見られないのが残念ですが・・・。
国(王朝)の名前が杭州寒蘭につけられているのは、今のところこれだけだと思いますが、南宋は杭州と深く関わった名前だったのですね。



 西湖の北西に岳飛廟(岳王廟)があります。
源義経に対する判官びいきと同じような感情なのでしょうか。
岳飛に同情し、秦桧(しんかい)を憎む中国の人々は、将軍である岳飛の廟を岳王廟と呼び、後ろ手にしばられてひざまづく秦桧夫婦の像を作って墓前に置きました。
歴史に逆らってはいますが・・・。
Sさんは1字を変えて、「岳妃」(がくひ)と言う名前を、選別した紅サラサ花につけています。


 西湖の西方に天竺山があり、さらに行くと天目山があります。
省境に近いのですが、杭州市に属しています。
天目山というのは、東天目山と西天目山のことで、どちらも標高1500メートル、それぞれ山頂に池があり、それがまるで天の目玉のように見えるというので、天目山という名がつけられたということです。


 「天竺山」(てんじくさん)「上天竺山」(かみてんじくさん)
 「下天竺山」(しもてんじくさん)「東天目山」(ひがしてんもくさん)
 「西天目山」にしてんもくさん)


 ややこしいですが、これらは皆有名な杭州寒蘭サラサ花の名前です。
このうち「東天目山」は絶種しています。
「上天竺山」以外は皆黄さんの命名で、このうち「下天竺山」は花型もよく、いぶし銀のような光沢の人気花です。
そういえば天竺山系(てんじくさんけい)と呼んでいる花もありますよ。


 
ホント ヤヤコシイ!!


                           
(2000/12/13)

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