杭州寒蘭なまえものがたり

  12、東湖はどっち?


 全く別の場所に同じ地名というのは、日本でも時々ありますが、中国でも同じ名前の山や湖があちこちに、という例はたくさんあるようです。
西湖という湖は三十数ヶ所あるそうですし、東湖もいくつもあるといいます。
町の西にあれば西湖、東にあれば東湖ですから、これは考えられますね。
前回の梁山は、山東省の黄河南岸にもあるようですし、青山、清渓なども他にも出てきます。


 反対に同じものに別名がいくつもあったり、時代によって呼び方が変わったり、地名を杭州寒蘭の名前にするのも、中々難しいものですね。



 さて、その東湖です。
杭州寒蘭「東湖」(とうこ)は、初期の頃に選別された青花で、
澄んだ緑の花弁、真っ白い舌に、数条の緑の筋が際立っています。


 東湖の一つは、紹興の街の東にあります。
浙江省の三大名湖の一つといわれ、見上げるような絶壁を控えています。
元は一つの山でしたが、漢代から石を切り出し続けたため、山の大半が削り取られて絶壁になり、清末に運河の水を引き入れて、東湖が出来上がったということです。
人工の湖ですが、百年余り経つ間に、自然の美しさを備えた湖になりました。


 もう一つの東湖は、湖北省の省都武漢の長江南岸にあります。
長江とその最大の支流、漢江が合流しているところで、武昌から約10キロの東郊です。
九十九湾と言われるくらい湖岸が入り組んだ湖で、周囲にはたくさんの木が植えられ、水墨画のような夕景は、杭州の西湖にも引けをとらないと、昔から多くの文人、詩人が訪れています。


 湖北省東湖の南西、武昌の蛇山西端に黄鶴楼があり、武漢のシンボルになっています。
黄鶴楼は、岳陽の岳陽楼、南昌の騰王閣と共に江南の三大名楼と言われてきました。



 黄鶴楼に伝わる伝説を一つ。


 蛇山の麓、居酒屋の主人辛(しん)さんは、毎日やってくる酒好きの道士に、気前よくただで酒を振舞っていました。
ある日道士はそのお礼にと言って、店の壁にみかんの皮で鶴の絵を描きます。
そして客が来たら手をたたくように言い残して立ち去りました。
言われた通りにすると鶴は壁を抜け出し、舞いながら銀の酒器に入った酒を、いくらでも運んできます。
店は大繁盛し、辛さんはたちまち大金持ちになりました。


 十年ばかりたった頃、又あの道士がやってきました。
喜んだ辛さんのもてなしを受け、すっかりいい気持になった道士は、懐から笛を取り出して吹き始めました。
すると天から香雲が降りてきて、鶴は壁を抜け出し、舞を舞います。
そのあと道士は鶴の背に乗ると、白雲に囲まれて天に向かって飛び去り、二度と戻っては来ませんでした。


 三国時代に、その黄鶴を偲んで三層の楼閣、黄鶴楼が建てられました。
その後何度も破壊され、その度に修築してきましたが、1884年完全に焼失しました。
今あるものは1985年に再建されたもので、鉄筋コンクリート五層建て、エレベーターで上まで行けるようになっています。


 長江を眼下に眺めることが出来るという絶好の作詩ポイントですから、黄鶴楼を詠んだ詩は、実に三百余篇もあるそうです。
特に唐の崔(さいこう)の「黄鶴楼」や、李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る」が有名です。


 平成6年に入った「黄鶴楼」(こうかくろう)は、杭州寒蘭初の黄花です。
黄花ということで入手したとき、黄色い蕾の状態で二株になっていました。
同じものかと思っていたのですが、咲いてみたら別の花でした。
一方は確かに黄花で「黄鶴楼」と名付け、もう一方は黄色の地に赤い筋が入る花で、一旦は「下黄鶴楼」(しもこうかくろう)とつけられました。


 けれども黄花とは言えない独特の色合いなので、平成10年に「朝暉」(ちょうき)と改名されました。
日本画の巨匠、吉田義彦氏の大作「朝暉」は、山の峰々が朝日に照り映えて輝いている様子を描いたものですが、この花の微妙な色合いがそれを連想させるので、名前を使わせていただきました。
「暉」は「輝」と同じで、赤花の「陽暉楼」(ようきろう)にも使われています.。


                               (2002/8/9)

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