杭州寒蘭なまえものがたり

 11、天門中断して


 項羽の馬、烏騅(うすい)の鞍が跳んだという伝説の山、馬鞍山の近くに、天門山があります。
戦国時代、この一帯は楚国に属していたので、長江のここを流れる部分は、楚江と呼ばれていました。


 天門山は楚江をはさんで両岸にそびえる、高さ百メートルあまりの二つの山の総称です。
一方は和県
(かけん)の梁山に属し、別名西梁山。
もう一方は当ト県(トはサンズイに余)の博望山に属し、東梁山とも呼ばれます。


 唐の詩人李白が詠んだ「天門山に望む」と題する詩。


   天門中断して 楚江開く
      
(てんもんちゅうだんして そこうひらく)
   碧水東流して 北に直って廻る
      
(へきすいとうりゅうして きたにあたってめぐる)
   両岸の青山 相対して出ず
      
(りょうがんのせいざん あいたいしていず)
   孤帆一片 日辺より来る
      
(こはんいっぺん にっぺんよりきたる)


 東に向かって流れて来た長江は、天門山の手前で北に向きを変え、水勢を増します。
東西の梁山は両岸に向き合っているので、山を断ち割って楚江の奔流を通しているように見えるというのです。
青山にはさまれた碧水、昇る太陽を背にして遠くからゆっくりと近づいてくる白帆、絵が浮かぶような光景ですね。


 李白は中傷によって宮廷詩人の地位を追われたあと、度々楚江に遊びました。
博望山の東にある青山は、南斉の詩人謝ちょう(月に兆)が常に遊んだところなので、別名謝公山
(しゃこうざん)とも呼ばれます。
李白は謝ちょうを慕い、何度も青山に足跡を訪ねています。


 李白は死後、最も愛した場所だった青山に葬られました。
今でも西麓に李白の墓、山上に衣冠塚があります。
李白は夜舟を浮かべて酒を飲んでいた時、水に映った月を掬い取ろうとして、川に落ちて死んだという伝説があるからです。
そのとき身に付けていた衣冠をおさめたのが衣冠塚だそうです。
病気で死んだというのが真実ですが、酒好きだった李白の最期は、こうあって欲しいという気持から生まれた伝説なんでしょう。


 
「梁山」(りょうざん)は紅露さんのサラサに、「碧水」(へきすい)は青全面無点花に、「青山」(せいざん)は水上さんの花型のよい青サラサにつけられています。


                              (2001/7/29)

目次へ    前へ    次へ

えびねと東洋蘭の店 すずき園芸