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           10 (2004/4/4〜2004/9/26)
2004/9/26
 気をつけて、たまに対策はとっていたのですが、甘くみていたようです。ここにきて寒蘭の花芽がばたばたとやられてしまいました。みなさんのところはどうですか。

 スリップスの被害は、数年前から東京でも出始めました。産地の四国や九州では、全滅したなんて話もきいていたのですが、対岸の火事をみているようなもので気にもしませんでした。
 急速な温暖化が進んで、少しずつ被害がふえだしたものですから、三年ほど前からは花芽がではじめたころ、一度殺虫剤をまくようになりました。これでまずOKでした。
 ところが今年は様子が一変しました。AONのメールニュースでも、ハモグリバエの被害がはげしいこと、この分では、東京あたりも大きな被害がでるのではないか、などとでていましたが、多寡をくくっていました。

 今年は驚くほど花上がりがいいので、消毒も二度ほどはしました。それなのに、真夏日の連続記録を更新したときに、お客様から指摘されて、いくつかやられているのに気がつきました。ショックでした。
 あわててまた殺虫剤をまいたのはもちろんですが、指摘がなければ、もっと被害は広がっていたかもしれません。もう対岸の火事だなんてのんきなことはいっていられません。
 丹精込めて育てた成果が、最後のところでパーになるのですから、泣いても泣ききれません。スリップス類は水と殺虫剤には弱いので、また暑い日がきたら迷わず処置しておきましょう。

2004/9/19
 持ち込んだ株で、ことしほど杭州寒蘭の初花が上がってきた年はありません。一鉢に3株寄せて作るのですが、どの年も花がくるのは1株程度なのが、ことしは3株とも花を上げている鉢がいくつもあります。
 異常に暑かった夏と好天がつづいたのが、寒蘭にはよかったのでしょうか。もっとも、水がからくて明るい作りだから、蘭は苦し紛れに花を上げたのだ、とお客様には皮肉られていますが。

 いずれにせよ、初花は多ければ多いほど、楽しみも大きくなります。宝くじと同じで、大当たりなんて滅多にでるものじゃありませんが、お客様もつい手が出て買ってしまうのでしょう。
 「秀水」も「満月」も「白玉壷」や「墨秀峰」も、数打った中から当たったものです。久しぶりに花をつけた「飛竜峰」だってそうです。「奔月」のように、すでに中国で選別されて入ってきた株とは違います。

 平成9年にYさんが掘り出した「飛竜峰」は6条の立派な株でした。たちまち3条、2条、1条とばらばらにされ、3人がいまもっているのですが、翌年3条の株に貧弱な花がきただけで、低空飛行がつづいています。
 ことしは少し上向きになって、3条の株に花をつけましたが、条数がふえたわけではなく、どこまでいい花が期待できますか。ほかの二人も少しは増えているが、どうしたわけか木が大きくならないとのことです。
 こんど大当たりが出たら、あんな無茶な割り方は絶対にしないぞ、と心にきめているのですが、いたずら好きの神様は、きっとはずれ券ばかりを用意して、にたにたしているに違いありません。

2004/9/12
 悲しいことに、年を取るとともにマイナス思考が多くなります。定年を目前にした還暦あたりから、目の前に奈落の穴が不意に現れて、あたふたした経験は誰もがもっていることでしょう。
 古希を過ぎるとその頻度が急に増えて、眠れぬ夜があったり、暗いうちに目が覚めて、身の置き所に困ることがあります。そんな時、みなさんはどうなさっているのでしょうか。
 私は蘭と向き合うことにしています。多年草の蘭は、毎年新芽を出す代わりに、役目を終えた古葉は、自然に枯れ落ちていきます。そんな蘭をみていると、理屈ぬきで心が落ち着いてきます。

 理屈抜きといえば、数年前スイスにいって、青空に聳えるマッターホルンを目の前にした時がそうでした。後ろ向きのぐじゅぐじゅした考えはたちまち消えて、前を向いて歩こう、急に元気がでてきました。
 不思議なことに、マッターホルンのご利益はいまも続いています。大抵は一時のことで、すぐ効き目がなくなるのが普通なのですが、私にとってマッターホルンは特別のようです。

 もうひとつ、理屈ぬきで私を元気にしてくれたのが、野茂投手の復活でした。驚きました。正直言って、私はあきらめていました。「もういいよ。これまでの活躍で十分だよ」といいきかせていました。
 それがどうでしょう。速球の伸び、制球力が戻った投球内容は、36歳の野茂がまだまだマウンドから打者を支配できることを証明した、と新聞でも書きたてていました。ブラボー!
 偉大なる野茂がいて、マッターホルンがあるかぎり、わたしもがんばらなくっちゃ。


2004/9/5
 暑さもようやく峠がみえてきたようです。39・5度なんていう猛暑もあった、ことしの桁外れの暑さで、被害を受けなかった方は多分いないに違いありません。
 が、涼しくなってこれで安心と思ったら大間違いではないでしょうか。暑いうちはなんとか持ちこたえたようにみえても、涼しさとともに万歳する株がでてくるものです。
 少しでもおかしいなと思った株は、迷わずあけて根を調べてみましょう。暑さに一番弱かったのは日本春蘭で、中でも小苗が多く被害を受けました。
 200年以上の伝統を持つ中国春蘭は、鉢植えにすっかりなじんでいて殆ど影響なしでしたが、鉢植えの歴史が浅い日本春蘭はこたえたのでしょう。大株にも被害がでました。

 その点、寒蘭はけろっとした顔をしています。天竜川以西にしか自生していなかったのは、それが北限だったわけで、温暖化はむしろ東京ではプラスに作用しているようにみえます。
 昨年入れた中国・杭州寒蘭、鉢植えなんかには全く慣れていないのに、どれもいい新芽を吹き、花芽までぞくぞくあげてきています。ことしは新芽のズボ抜けもたったの1株だけでした。

 いま狂い咲きしているMさんのサラサ大輪花、驚いたことに、完全な前面無点花で、花間もよく、葉上に抜きんでて咲いています。二年前の初花は、記憶に残るような花ではなかったはずですが・・。
 杭州寒蘭向き(?)の陽気で、ひょっとすると、ことしは花の当たり年になるかもしれませんね。


2004/8/29
 今回は園芸の話はお休みにさせていただいて、オリンピックのことを取り上げます。女子マラソンには腹の底から感動しました。久しぶりに興奮しました。
 いつもは早々と寝てしまって、結果がわかってからの映像をみて満足していたのですが、マラソンだけはライブで見ました。それだけにすごい迫力でした。
 終盤、トップを走る野口みずきはヌデレバに追い上げられ、また抜かれるのではないかと胸がどきどきして、思わず「がんばれ、野口!」と声を上げていました。テーブルを叩いて叫んでいました。

 それにしても、シドニーの高橋尚子に続いて、オリンピック二連覇とは恐れ入りました。土佐が5位、坂本7位と全員が入賞ですから舌を巻きました。女の底力を感じました。
 昭和のひと桁生まれなので、女性蔑視の傾向がなきにしもあらずのわたしですが、今回のオリンピックでの女性の活躍には、文句なしに頭を下げます。

 レース後の野口の話がまた感動でした。爽やかな笑顔とともに、最後に言った言葉は「がんばってきてよかった」でした。さりげない言葉にこれほど胸を打たれたことはありません。
 5、6月に四川省昆明での高地練習で、1350キロを走ってきた野口。本当にがんばってきてよかった、よかった、よかったねえ。自分が金メダルを取ったような気分でした。

2004/8/22
 ようやく暑さも一段落したかと思ったら、とんでもない。また猛烈な勢いでぶりかえしてきました。眠れぬ熱帯夜はいつまで続くのでしょうか。
 日本もいよいよ南方並かとあきらめていたら、赤道直下の熱帯夜は、まるっきり違うよ、とある新聞のコラムにでていました。
 確かに昼間は湿度が高くて、何もしなくても汗が流れ出るのですが、日が沈むと急速に温度も湿度も下がって、暑くて眠れないなんてことはまったくない、のだそうです。
 考えてみれば、一年中、昼の蒸し暑さに加えて、寝苦しい夜がつづいたのでは、たまったものではありません。神様はちゃんとバランスをとってくれているのでしょう。

 そのバランスを崩しかねないのが、最近の急速な温暖化傾向です。山口のKさんも、えびねが上手に作れなくなったと、泣きのメールをくれました。
 日照不足でこの春は花付きが悪く、そこで遮光を一枚取って明るくしたら、この暑さで葉にウイルスのような、葉ダニのような斑紋がでて、がっくりきているのだそうです。
 むかしはそんなに手を入れなくても上手にできたのに、と嘆きながらも、葉ダニの薬をぬるKさん。自然の力に比べたら人間の力なんて微々たるものだけれど、諦めたらそれでお終いです。
 オリンピックだって、諦めなかったものたちが、金銀銅メダルに輝いているのですから。

2004/8/15
 タイミングってあるもんですね。朝、出掛けにNHKTVをみていたら、虫除けシャツが紹介されていて、処理されていないシャツには蚊がわっとたかってきて、処理シャツには一匹もとまろうとしませんでした。
 この時期の園芸で悩みの種は、蚊の攻勢を如何に防ぐかなのですが、なかなかいい手がなく、つい引き込まれて見ていたら、虫除けリングなるものが出てきました。
 腕にはめるだけで蚊はよってこないというのです。そのときは半信半疑で店にでていたら、お客様が早速その虫除けリングを買ってもってきました。

 このお客様、店の作場のランをみているときに、いつも蚊に食われて往生していたので、すぐさま腕にはめて実験してもらいました。10分以上は作場にいたでしょうか。
 結果はまったく蚊に食われることはありませんでした。というわけで、こちらも急いで買いに走ったら、もう売り切れてありません、ということでした。
 その時気がついたのですが、その朝、もう我慢できないと、大量の殺虫剤をまいていたのでした。蚊にくわれなかったのはそのせいもあったかもしれません。
 でも、もう二つも予約してしまい、二日後には現物も手に入りました。腕にはめるだけで蚊の攻勢をふせげたら、こんな楽しいことはないじゃないですか。
 薬が切れるこれからが真価を問われるとき。真夏の夜の夢、楽しく見させてもらおうじゃありませんか。


2004/8/8
 東京が先月、39・5度を記録した日、私の店の小さい方の温室は、なんと46度でした。その前後10日ほどいなかったものですからくわしいことはわかりませんが、愛する蘭たちは大変なパニックだったことでしょう。
 帰ったら猛暑の被害があちこちでみられました。概して小さい鉢で水を多めに作っていたものの中で、少しの間直射光が当たってしまうものなどが、被害にあっていました。
 勿論逆に水切れもあったかもしれません。が、よくよく調べてみてわかったことなのですが、四六時中風通しのよいところでは、殆ど被害はでていませんでした。

 小さい温室には、直径12cmの換気扇二つが、気温が20度を越すと動き出し、外の空気を中にいれ、中の空気を外に出しています。46度になってもこの風の流れが蘭を救ってくれたようです。
 46度を示す寒暖計と同じ位置につるしているウチョウランは、猛暑などどこ吹く風といいたげに元気です。軟腐で倒れる株も例年より少ないような気がします。
 杭州寒蘭も、新芽の伸びはこの暑さでいまいちの感じですが、軟腐で倒れたものはまだないようです。この調子なら秋風とともに、一気に勢いを盛り返すのではないでしょうか。

 園芸で一番大事なのは風通し。えびねのウイルスで苦しんでいた時、「風さえ通っていれば心配ないですよ」と極論するひとがいましたが、確かに、風は園芸にとって万能薬のようです。
 いまや扇風機の二つや三つは必需品。昔と違ってお値段もお安くなっています。


2004/8/1
 いまさらこんなことをいったら笑われてしまうでしょうが、私どものつたないHPが、日本だけでなく外国でも見てくれている人たちがいるとわかって、いささか緊張しています。
 二ヶ月ほど前から、上海に住む愛蘭家の張さんという方から、度々メールをいただくようになりました。日本語への転換ソフトが不十分で、意味不明のところも多いのですが、だいたいのところはわかります。
 奥地の蘭だけでも300鉢を越すそうで、送られてきた写真をみるかぎり、これまで日本に入ってきたものとは質違いで、どれも喉から手が出そうなほど欲しいものばかりでした。

 その張さんが三度目に送ってきたメールでは、青花の杭州寒蘭が何点か載っていました。寒蘭は始めてまだ5年ほどだそうですが、大好きな蘭のひとつで、先生(私のこと)の教えを請いたいとありました。
 教えてもらいたいのはむしろこちらのほうで、いろいろ入ってくる情報に寄れば、中国でも最近は寒蘭への関心が急速にふくらんでいるようです。杭州寒蘭がただの草扱いで終わるわけがありませんからね。

 11月には上海植物園の沈雪宝さんが、同園で第一回の杭州寒蘭展を企画しているという情報を裏付けてくれたのも張さんでした。こんどは万障繰り合わせて渡中したいと思っています。
 中国の大地が生んだ杭州寒蘭、中国春蘭と同じように、これからの日中友好の大きな架け橋になってくれることでしょう。張さんとお会いするのが楽しみです。


2004/7/11
 昭和のひと桁生まれは、一番遅い九年生まれが、ことし誕生日が来て70歳です。ついに全員が古希の世界に突入したことになります。
 私が生まれたのは昭和四年(1929年)で、終戦の年の二十年三月に中学を4年で卒業しています。本来ならもう一年中学生生活がつづくはずでしたが、戦況が逼迫したこともあって、繰り上がったのでした。
 三年生のときから勤労動員で、勉強する時間よりも工場で働く方が多く、沖縄が陥落してからは一億総玉砕ということで、当時は人生二十年はしごく当たり前のことでした。

 当たり前といえば、ご飯を一粒も残さない習慣がついたのも、昭和のひと桁生まれです。伸び盛りのときにいつも飢えてがつがつしていたのですから無理もありません。
 いまの子供たちが派手に食い散らかしているのをみると、無性に腹が立ってきます。平和で豊かな世の中になったのは結構なのですが、どこかが間違っているのではないでしょうか。
 人生二十年と思っていた昭和のひと桁生まれが、いつの間にか古希を迎えるまでに長生きし、かわって飽食になれた次世代の人たちが、早死にする傾向が最近目立っていると聞きます。

 園芸も同じようなもので、栄養剤、活力剤がこれでもかこれでもかと出回っています。早く立派な株にしたい気持ちをくすぐられて、いつの間にか飽食になっていないでしょうか。
 植物は光と水と風でつくれ、これが鉄則です。肥料ではありません。

 都合により18日、25日の「今週の話題」は休ませていただきます。


2004/7/4
 早いものでことしももう折り返し点をまわりました。前半は春蘭、えびね、ウチョウランと、切れ目なしの催しがつづいて、殆ど息つく間もありませんでした。
 せめてここらで一息つきたいところですが、どっこいそうもいきません。二年前にもこの欄でとりあげましたが、7、8月は夏休みだなんてのんきに構えていたらとんでもないことになります。

 いまのところ、異常気象のニュースはでていないようですが、長期予報によれば、ことしは暑い夏のようです。この時期をいかに夏負けさせずに乗り切るかがカギとなります。
 どうすりゃいいのといわれても、妙手があるわけではありません。いままで以上によく見回ってやることでしょう。それが植物にとっては最大のくすりなのです。
 不精していると、いつのまにかカイガラムシがびっしりついていたり、株元が軟腐にやられていたり、根腐れがでていたりで、取り返しがつかないことになりかねません。

 秋の植え替えも最近は前倒しで、九月の声を聞く前からはじまります。そのための用土作りも早めに済ませておくに越したことはありません。
 だから、7、8月は勝負のヤマ場といった方がいいのです。杭州寒蘭の花芽が順調に伸びるかどうかも、この時期の管理次第です。スリップ、アザミウマなどの対策を特にお忘れなく。


2004/6/27
 先日、愛媛の山奥に住むというTさんからこんなメールをいただきました。

 「昭和の40年ごろからウチョウランをはじめましたが、当時は高価で手が出ず、産地別にアワチドリ、クロカミラン、サツマチドリなどの並花や、いくらか色や形のよいものを選んで集めていました。
 平成4年からは「買えないなら自分でつくりだすほかない」とバイテクに取り組んできましたが、最近は毎年溢れるほど出てくる新花に、もうこれはウチョウランではない、と思うようになりました。
 自然界では絶対にありえない産地間交配、種の保存を無視した何でもありの交配(実は私も同罪なのですが)に嫌気がさして、昨年は交配をやめてしまいました。」

 こういった悩みをもっているのは、Tさんだけではないと思います。ウチョウランの世界はサイクルが早いだけに、信じられないほどの変貌をとげてしまったのです。
 白紫一点連舌奇花といった、自然界ではまず考えられない、三芸、四芸の花を作り出したバイテクの功績は高く評価できます。が、皮肉にもやればやるほど、自然からどんどん遠ざかる結果になってしまいました。

 誰がこんな結果を予想したでしょうか。果報は寝て待てで、バイテクなど一切やらず、増え芽でのんびり楽しんでいたら、まだまだウチョウランの黄金時代は続いていたかもしれません。
 でも、愚痴っていてもはじまりません。可愛いウチョウランは、長島監督じゃないが、永遠に不滅です。生かすも殺すも、われわれマニアの心がけ次第じゃないでしょうか。

2004/6/20
 HPをはじめて足かけ5年になります。この商売はフェースツーフェースが原則ですから、HPは全国の人に店の存在を知ってもらうのと、店の常連客のような気分になってもらえれば、というのが目的です。
 だから、売り上げアップのことはまったくといっていいほど考えていません。価格表を載せないのもそのためです。実際に来ることができなくても、HPの常連客が増えてくれれば万々歳です。

 そんなわけで、才能もないのに、「今週の話題」で1週間に1度は更新することでスタートし、1年後には「朝昼晩」を加えて2日にいっぺんとし、2年前からは「きょうのショット!」で毎日の更新となりました。
 力もないのに、だんだん欲張りになって、恥をさらしていますが、有難いことに、はじめは5、60人のアクセスだったのが、いまでは倍以上に膨らんできています。
 石の上にも三年ということわざがあります。商売抜きで楽しんでもらうHPのつもりですが、いつのまにかHPを通してのお客様がふえてきています。

 先日も初めての方で高額の注文がありました。品物も見ずに買う気になれるのは、HPの常連客だからでしょう。こうなると益々ない力をふりしぼらざるを得ません。
 「きょうのショット!」は特に好評で、最近では間髪を入れずに反応がかえるようになりました。担当の白石さんの表情の冴えること冴えること。青息吐息のこちらとは雲泥の差です。


2004/6/13
 もう10数年、いや20年ほど前になりますか、千葉蘭園の長野さんがフィリッピンのネグロス島から山採りしてきたという蘭を、2株分けてもらったことがあります。
 一茎九華に近い蘭という触れ込みだけで、どんな環境のところにあったのかもわからずに挑戦したのですから、当時はずいぶん無鉄砲な、怖いもの知らずでした。

 中国春蘭と同じ作場に入れて作ったのですが、増えもせず、減りもせずで何年かが過ぎたある年、ちょうど今頃でした。葉丈と同じくらいの高さに花茎を上げて、蕾が一つついているのに気がつきました。
 それから一週間後、咲いた花は梅弁の鳶赤更紗で、小ぶりでしたが実にかわいらしい花でした。残念なことに、香はありませんでしたが、東洋蘭の花がない時期だけに貴重な存在となりました。

 一度は乞われてお嫁入りしたのですが、数年後、主を亡くして出戻ってからは、花を忘れ、ひっそりと暮らして目立つことはありませんでした。それがことしは、いま花茎を3本も上げて間もなく咲きそうです。
 株も倍以上に増えて10条ほどになっていますから、温暖化のおかげで、どうやら所を得たような感じになったのでしょうか。どの花茎も花は一つのようですから、九華ではなくて一花なのかもしれません。
 未熟な木で咲く花と違って、ことしは株に力がありますから、またひと味違った花が期待できるかも。しばらくはせっせと足を運ぶ、蘭冥利に尽きる、毎日がつづきます。


2004/6/6
 先日、古いお客で相模原のSさんがすい臓がんで亡くなりました。私より何年か年長の方だから、年に不足はないのだけれども、がんでなければもっと長生きできただろうと思うと、痛恨の極みといえます。
 デパートの外商部を定年退職して、都内から移り住んで、奥さんと文字どうり晴耕雨読の老後をエンジョイしていて、いささか妬ましく思ったこともありました。

 東洋蘭とえびねが大好きで、中国春蘭などは増え芽を何度か里帰りさせてもらったものです。入院中も休診の土、日は外泊許可をもらって蘭の面倒を見ていると、本人からきいたことがありました。
 養い主をなくした植物ほどあわれなものはありません。後継者がきまっていればいいのですが、殆どはろくすっぽ面倒も見てもらえないで消えていく運命です。
 娘さんからの電話でも、早く適当な人を見つけて可愛がって欲しい気持ちがあふれていました。頼まれたこちらも責任重大です。死者に喜んでもらえるような名案はないものでしょうか。

 持ち主が亡くなって処分される品物をど払い品といって、交換会などで安直に処分されていますが、死者に鞭打つような扱われ方が多いようです。それだけは避けたいものです。
 それにつけても、園芸マニアの中で、自分の死後のことまで決めている人がどれだけいるでしょうか。名品はきちんと受け継がれる義務があると思うのですが、いかがなものでしょう。

2004/5/30
 「ひと坪園芸」は、私の店が出来て間もなく発刊になった月に一度の園芸新聞(タブロイド版16頁)です。もう四分の一世紀を越えているのですから、私の店の30年とともに“信じられない存在”といえそうです。

 私も園芸をやる前は新聞記者だったので、なんとなく応援する気になって、園芸店情報のスポンサー第一号となって、今日までお付き合いがつづいています。
 毎月広告料として9千円弱、時には3段半頁の広告も付き合わされたりして、これまでにかれこれ400万円近くは使っているのですが、それだけの効果があったかどうか。
 先日、二人の女性が「ひと坪園芸」を見て埼玉から来たと聞いて、白石さんと顔を見合わせて苦笑いしてしまいました。そんなお客様はこの30年で一人か二人ぐらいなものだったからです。
 つぶれずにがんばってきた実績が効果をあげだしたのかもしれません。石の上にも三年、といいますが、時間は経てばたつほど箔がつくものです。説得力もでます。

 100年も200年も経った盆栽の前に立つと、理屈抜きに圧倒されてしまいます。半端な力ではありません。そんな盆栽と肩を並べて喧嘩するつもりはありませんが、ウチョウランだって同じです。
 一株何十万円の時代は別にして、いまは同じ花が親、子、孫、ひこ孫・・と株立ちになればなるほど、箔がでてきます。それは変わらぬ管理が何年も続いた、安定した生活の裏付けがあった証拠だからです。
 どうです、ことし選んだひと株を、まずは10本立ちにする挑戦、をみんなでやろうではありませんか。


2004/5/23
 例年6月にならないと、杭州寒蘭の新芽は出揃わないのですが、ことしは早々と顔を見せている株がいくつかあります。この一、二年急に力をつけてきた「峨眉山」が、もう太い芽を1.5pものぞかせています。
 大好きな「黄玉山」も併走する感じで、「昆明湖」もしっかりした芽をあげていました。「逸品」に至っては3芽もあがっていて、思わずにたりとしたことでした。

 もうあらかたの株が古葉を落としているので、新芽が覗いてくるのは時間の問題でしょうが、私は絶対に土をほじくって調べることはしません。なぜなら新芽は大変ナイーブだからです。
 自力で石を押し上げて伸びるときは、不思議と傷つくことはないのですが、ほじくった後どんなに丁寧に石を戻しても、傷ついて雑菌に犯されて苦い思いをさせられることがあります。
 「豊雪」がまだ高価だったころ、亡くなったMさんは古木を手に入れ、早く芽が出ろと二度も土をほじくったのでした。白く動いた芽を見つけてニコニコして土を戻したものの、三度目には黒くなっていたそうです。

 古葉が急に枯れこむのは、新芽が動き出した証拠ですから、むしろ喜ぶべきですが、勢いがいまひとつの「下天竺山」が気がかりです。親株は後ろから3枚葉、2枚、2枚で、しかもことしは休む年に当たります。
 子株の方が2枚、3枚、3枚で葉丈も親株より大きいので、ひょっとしたら花を持つかもしれません。でもいい花がみたければ、勢いのある株の先芽どまりに限ります。
 昨年いい新子をあげた「弧峰」ことし新芽がお休みなら、見返りにいい花が見られることでしょう。


2004/5/16
 目に青葉山ホトトギス初鰹  五月の青葉ほど目に染み入るものはありません。弱々しく、ちょっとはにかんだ新緑から、日に日に緑を増して逞しくなっていくのをみていると、こちらまで力がみなぎってきます。
 どの木も草も微妙な緑の違いを見せながらも、一斉に命を謳歌して、五月はまさに春爛漫といったところです。そんな中でひと際目を引くのがえびねではないでしょうか。

 学名でもラテン語でカランセ(美しい花)といわれているえびねですが、花が終わったあとの、展開してくる新葉の見事さも忘れることはできません。特にニオイ、コオズは照りがあって圧巻です。
 えびねマニアでなくても、この時期のえびねの新葉をみたら頷くことでしょう。白熱灯の下で見るすばらしさは格別で、夜は蘭舎に足が向かない日はないほどです。
 むしゃくしゃした気分も、仕事の疲れも、気がかりなことも、えびねの葉を見ているうちに消し飛んでしまいます。理屈ぬきで明日への活力が湧いてきます。

 えびねも足しげく通ってくれるのを喜んでくれているようです。「青嵐」が軟腐病になる寸前で気づいて食い止めることができました。一部にウイルス症状がでた「相牟田紅」も早めに処置ができました。
 古典園芸の格言に“蘭に聞いて蘭を養い、蘭を養って蘭に養われる”とありますが、毎日蘭舎にかよって、まったくそのとおりだなあと思うこの頃です。


2004/5/9
 先日、栃木の佐野えびね会の会長さんのところに出かけて、お棚を拝見させていただきました。翌日から二日間、毎年恒例の展示会があるというのに、快く、長いこと作場を案内してくださいました。
 20坪ほどの温室には、ほとんど地元で採れたジエビネが所狭しと並んでいました。「いいものは一年に一、二本でるだけです」という、選び抜かれた質の高いえびねばかりなのにまず舌をまきました。

 むかしから、ニオイ、コオズに偏っていて、ジエビネには遅れをとっていたのですが、よそ行きの前者に対して、後者はアットホームで、ほっと肩の力が抜けて寛いだ気分になります。
 えびねは、ジエビネに始まってジエビネに終わる、といわれていますが、一つ一つ花を見ているうちに、あらためてそれがわかるような気がしました。理屈ぬきに心がなごんできます。
 4号から5号の鉢を使って二年に一度は植え替えているそうで、驚いたことに、病気の株は一つもありませんでした。アブラムシがたかっている株も見当たりませんでした。
 作場はとても花がきそうもない暗さなので聞いてみたら、蕾のころあいを見て暗くしているという返事でした。これもウイルス対策の知恵とみましたがどうでしょうか。

 ともあれ、以来ジエビネにとりつかれて、来年はニオイ、コオズにつづいて、肩の張らないジエビネの良さを見ていただこうという気持ちがぐんぐん膨らんでいます。
 運良く手に入れてきた「福娘」がけしかけること、けしかけること。がんばりまっせ。


2004/5/2
 みんなで米寿のお祝いをやろうといっていた中学の恩師が亡くなりました。戦時中の中学二年生のときの担任で、一学期の三ヶ月受け持っただけなのに、クラス会に来てもらったのはいつもその先生ばかりでした。
 年が10歳しか違わないので、兄貴みたいな存在でもあったのですが、とにかく他の先生を呼ぼうという声がまったくでない不思議な魅力を持つ先生でした。

 園芸店をはじめるにあたっても、先生のひと言が決め手になりました。農村文化協会にいたころ知り合ったという、千葉蘭園の長野正紘さんに会えといわれて、えびね専門店のすずき園芸が生まれた次第です。
 当時、長野さんは日本洋蘭農業協同組合員でしたが、先生の「何かを持っている男」という評価とは裏腹に、組合員の評判はあまり芳しくありませんでした。
 そんなわけで私もはじめは会うつもりはなかったのですが、ほとほと何を柱にしてやるかに迷って、千葉の成東まで大きな期待もせずに出かけたのでした。
 私がえびねと出会ったのはその時がはじめてです。花の時期ではありませんでしたが、色とりどりのきれいな写真をみせられ、学名のカランセはラテン語で「美しい花」の意味ときいて、迷わず決断したのでした。

 あれから30年、いろいろありましたが、お陰さまでえびねとは切っても切れない仲になっています。それもこれも元はといえば先生の導きでした。
 その先生がもういないなんて、無常ですねえ。いまは安らかにとご冥福を祈るのみです。


2004/4/25
 ことしのえびねはニオイ、コオズだけでなく、開花の遅いジエビネまでほとんど同時に咲きだしました。しかも全体として二週間も早まったのだから、日程は大きく狂ってしまいました。
 えびね展の会期は14日から5月の5日までとうたっているのですが、4月いっぱいもおぼつかない状況です。夏のような暑さからようやく平年並みになってはきましたが、もうどうにもとまりません。

 三年前の2001年が同じでした。当時は22日が初日でしたが「展示会が始まるときにもう花が終わりだしているなんてことは、商売を始めて27年になるがはじめてのこと」と書いています。
 そして翌2002年も同じ事態になったのに懲りて、昨年からは日程を一週間早めたのでした。これがうまくいったのは、しかし昨年だけで、ことしはまたもや花がもたない事態となりました。
 エビネの開花にあわせて夏が来た感じで、パッと咲いてパッと散る、最も短命のシーズンといえそうです。目に見えるような温暖化の進行は、融通のきかないえびねにとっては過酷すぎました。

 そんな中で、植え替えてから2年経ったもの、なかでもニオイ、コオズはけなげに頑張ってくれています。「青嵐」「虞美人」「紫式部」などはまだしゃんとしています。
 これからお見えになるお客様のためにどこまでもちこたえられるのか。いとおしくていとおしくて、肩でもさすってやりたい心境です。


2004/4/18
 同じ人間でありながら、いまのイラクの人たちと日本人では、どちらが幸せかは論を待つこともないでしょう。こんな不公平のない、だれもが平和な世界がやってくるのは、いつの日のことでしょうか。

 蘭の世界でも考えさせられることがあります。シンビジウムとえびねの関係で、同じウイルスでも、シンビは花屋さんの年末の店頭で華やかに飾ってもらえ、えびねは忌み嫌われて、ひどくは捨てられてしまいます。
 シンビはウイルスになっても、花はきれいに咲きます。ただ花上がりが悪くなるので、最後は年末の店頭ゆきとなるのですが、えびねは不幸なことに花にでてしまいます。
 病気になる前の美しさを知るものにとっては、生き恥をさらさせるくらいなら、早く死に水をとってやりたくもなります。えびねは不幸の星のもとに生まれた蘭だよ、ということで片付けていいのでしょうか。
 確かに、観賞できなくなるえびねはごまんとあります。が、発病してもシンビのように、花はきれいだというえびねもたくさんあるのです。そんなえびねまで一緒くたに扱っていいのでしょうか。

 昨年の5月11日のこの欄で、私は「病気の株だって生きる権利はあるはずだ。山で幸せだったものを無理やり里におろして、病気になったから焼却では勝手すぎる」と主張しました。
 一年たってその考えはますます強くなっています。ことしはお客様に事情をよく話して、そんな株を有料(もちろん格安ですが)で楽しんでもらう試みを積極的にはじめました。
 私のやっていることは間違っているでしょうか。


2004/4/11
 大リーグの松井稼選手が開幕戦で劇的なデビューをしました。プレイボール直後の初球をバックスクリーンにホームランしただけでなく、さらに二塁打2本、敬遠もいれた2四球の大活躍でした。
 ハウ監督も舌を巻いて「まるでおとぎ話みたいだ」とうなったそうです。無理もありません。故障があったとはいえ、オープン戦の不調振りからみて、誰がこんな結果を予想したでしょうか。

 運命の神様というのは、いたずら好きなのでしょう。敬愛するトルネード野茂は、滅多打ちに遭って開幕戦を飾れませんでした。これでつぶれてしまう野茂ではない、とわかっているからのいたずらなのでしょうか。
 松井選手の運がよければよいほど、対照的に運の悪い、お客様のOさんのことが頭から離れません。手のかかる精神障害の子供を残して、最愛の奥さんをがんでなくしたのです。
 毎日が綱渡りの建築の仕事に降ってわいた、余命いくばくもない末期がんの宣告。子供の面倒、台所仕事などやったことがない男は、ほとほと途方にくれて、死ぬことを考えたこともあったようです。

 そんなOさんを見違えるように、逞しく立ち直らせたのはなんだったのか。話のなかから感じられるのは、渦中にあって、水も満足にやってやれなかったえびねのようでした。
 この頃は仕事もいくらか好転したらしく、よく店に寄ってくれます。実生のニオイ、コウズが毎年少しずつ咲いてくるのがこれからの楽しみと、白い歯をみせています。
 携帯で見せてもらったことし期待の花は、ふっくらとした形で色もよく、いまにも笑い出しそうでした。

2004/4/4
 店のHPのアクセス数が先月末で10万を突破しました。はじめは、見てくれる人が少ないと嫌気が差すだろう、ということもあってカウントはつけませんでした。
 それが3年前の暮にPCを買い換えたとき、白石さんが勝手にカウントを始めて、何人見てくれたかすぐわかるようにしてしまいました。怖いもの見たさもあって、ずるずるとそのままになってしまったというわけです。
 そのころは一日5、60人だったように覚えています。それでも、10人も客がきたらきょうは大忙しだねという店からみれば、驚くほどのアクセス数に密かに感激したものでした。

 私の担当は「今週の話題」と「朝・昼・晩」の二つですが、二年前の九月に「きょうのショット!」を新設して白石さんが担当するようになってから、アクセス数はうなぎのぼりになっています。
 自分の無能さは棚に上げて、活字より写真、読むより見るほうが強いんだな、と思い知らされています。いまでは延べにして倍近い方が毎日アクセスしてくれているようです。
 店でもそうですがお客様がきてくれなければ話になりません。そのお客様が気持ちよく遊んで帰れる店が、開店以来のモットーです。買うお客様より買わないお客様の方が大事です。
 HPも同じです。毎日ぶらりと寄ってくださるだけでありがたいことです。飽きられないように、これからもがんばりますのでよろしくお願いします。


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