◆◆ 40、西遊記 漢の武帝の時代には、張騫が西域ではるかな未知の旅をしましたが、7世紀前半の唐の時代に、やはりシルクロードを通って苦難の旅をした人がいました。 三蔵玄奘です。 玄奘は隋の煬帝の時代に生まれ、少年の頃に兄に続いて洛陽で仏門に入りました。 その後、隋末の戦乱と飢饉の洛陽を逃れて長安へ、そこから高僧が集まっていた成都へと移って修行します。 20才で受戒した時には、仏教界の若きホープとして、その秀才ぶりが世の評判になっていました。 玄奘はさらに研鑽を積むため旅に出ます。 隋の煬帝は仏教を厚く信仰していましたので、その頃正式に得度した僧は、官吏と同じように生活が保証されていました。 隋から唐にかけての混乱の時代には、出家者は相当な数にのぼっていたようです。 けれども戦乱の末に始まった唐王朝は、まだ経済的基盤ができていません。 唐の高祖は、税金を納めず兵役にもつかない僧侶や道士を減らし、寺院や道観の大部分を廃するという廃仏令を出しました。 太宗になって廃仏令は取り消されたものの、太宗は宮中での三教の序列を、儒教、道教、仏教の順とします。 仏教にとっては逆風で、激しい宗教論争が繰り広げられていました。 そんな時、玄奘はどうしても残る疑問を解くため、数名の同士とインド行きを願い出ます。 しかし出国は認められませんでした。
その頃、最大の対外問題は突厥(トルコ系遊牧民族)との争いでした。 持久戦の外交交渉の最中で、辺境は不安定でしたから、国人の出国を禁止していたのです。 他の同士はインド行きを諦めましたが、玄奘は法を犯しても行く覚悟でした。 ちょうど霜害による飢饉の年で、「食を求めて疎開せよ」との通達が出ていました。 玄奘はこれを利用して長安を出発し、敦煌から密出国してしまったのです。 27才の時でした。 熱心な仏教信者だった高昌国王、麹文泰(きくぶんたい)の招きで、トルファン盆地にある高昌国に立ち寄り、熱烈歓迎を受けます。 国王からこのまま当地に留まるよう懇願されましたが、1ヶ月あまり経典の講義をした後、帰りには必ず寄ると約束して出発します。 国王は、通過する各国への紹介状や土産物を持たせてくれました。 高昌国と縁戚関係にある西突厥でも手厚くもてなされ、玄奘一行は天竺を目指します。 大部分はキャラバンを組んでの旅でしたが、この時代に天山山脈を越える道中は、決して生易しいものではありませんでした。 インドでは戒日王が熱心な仏教の保護者でした。 しかし玄奘がようやくたどり着いた時には、仏教はヒンズー教に取って代わられようとしていたのです。 仏跡はすでに荒れ果てていました。 それでも、ナーランダーにある仏教の最高学府では、1万人を超える僧徒が研修を積んでいました。 玄奘は5年間ここで学び、十指に入る成績を収めた後、インド各地を旅します。 長い修行を終えて帰国する時には、43才になっていました。 手に入れたたくさんの経典を持ち帰るには海路の方が好都合だったのですが、高昌国との約束を守るため、再び険しい山越えのルートを辿ります。 しかしその頃には、唐はすでに高昌国を攻め滅ぼしてトルファン盆地を直轄領とし、安西都護府を置いていたのです。 国境をはるか西へ延ばし、唐は豊かな強大国になっていました。 禁を破って密出国してから17年後、帰国した時には途中まで太宗の使いが迎えに出るほどの大歓迎ぶりでした。 玄奘の勇気ある行動に感銘を受けた太宗から、側近として迎えたいと言われますが、その申し出は断ります。 持ち帰った大量の経典を翻訳するという、気の遠くなるような作業が待っているのです。 翻訳作業は太宗の庇護のもと、国家的事業として長安の慈恩寺で行われました。 西安のシンボル大雁塔は、玄奘が訳経を納めるために建立したものだそうです。
三蔵というのは、経、律、論の三部門に秀でた人のことで、三蔵法師という称号を持つ高僧は唐代にもたくさんいました。 私たちが三蔵法師というと玄奘を思い浮かべるのは、おなじみの「西遊記」によるものでしょう。 「西遊記」は玄奘の偉大な事跡が美化され、伝説化された末、宋代にその原型ができたもので、明代には戯曲や小説としてたくさんのバリエーションが出来上がっていました。 「西遊記」の主人公孫悟空は、四方を海に囲まれた島山、花果山のてっぺんにころがっていた大きな石が裂けて生まれた石猿ということになっています。
「花果山」(かかざん)という名は、青サラサの良花につけられています。 昔Fさんが、少し暴れるから「悟空」(ごくう)とつけた花がありましたが、もう絶種したかもしれません。 高昌国があったトルファン盆地は、世界で2番目に海抜が低いところで、気温の変化が激しく、年間降水量はわずか30ミリだそうです。 北側に連なっている赤茶色の山並みが、草木が1本もない火焔山です。 「西遊記」に出てくる火焔山は、孫悟空が山の火を消すために、鉄扇公主から芭蕉扇を奪うという活躍の舞台ですね。 紅系サラサの「火焔山」(かえんざん)は名の通った品種ですので、ご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。 (2005/7/31)
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