ば | っ | く | な | ん | ば | ー | 5 | (2001/10/7〜2002/3/31) |
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2002/3/31 植物は殆どが交配を虫に頼っています。時期が来ると花を咲かせて虫を呼ぶのです。その方法は目立ちやすい、派手な色で惹きつけるか、香りをだして誘うか、のどちらかです。 一般に派手な花は、香りの方はほとんどないものが多く、逆に地味な花だと、大抵はいい香りがします。 花は葉から進化したといわれますから、緑花は最も原始に近いわけで、いい香りで虫を誘うものが多く、中国春蘭はその代表といえるでしょう。 その高貴で優雅な香りは、中国では高く評価されて、国の花にもなり、不老長寿の妙薬として、ひと嗅ぎで10年長生きできる、と伝えられています。 その点、えびねは色も香りも多彩です。現存する植物の中では最も変化に富む方で、無い色は真っ黒と濃いブルーくらいのものです。 香りもさまざまです。キエビネは柑橘類、地エビネはきのこ、キリシマは蓮華の香りをもち、ニオイとコオズは水仙と沈丁花をミックスしたような、それはいい香りです。 中国春蘭の高貴さはないが、庶民的で、温かみがあって、開放的です。鼻を近づけてひと嗅ぎすれば、さて、こちらは何年長生きできますか。いよいよえびねシーズン到来です。 |
2002/3/24 地エビネの平均開花日は、東京周辺で4月29日といわれています。ニオイ、コオズはそれより20日ほど早く咲くのが常識ですが、いずれにせよ、エビネの季節は4月に入ってからがこれまでのパターンでした。 それがことしは、外に置いていたコオズの「ゴロデーの赤」がいまにも咲きそうで、Hさんのマンションでは「御蔵黄梅」が、写真のように満開です。 そんなわけで、春蘭展(24日まで)のあとひと呼吸おく暇もありません。えびねの時期は一年で一番そわそわ、どきどき、わくわくして、体が宙に浮いているようで落ち着きません。普段は出不精なわたしですが、この時期だけは東奔西走します。 日本えびね業者組合の上野展が4月12日から。15日には多分鹿児島に飛んでいるでしょう。ニオイの霧島園は見逃せません。22日は伊豆一碧湖の日本えびね協会展、さらに周辺の視察・・ 17日からは私の店の展示会も始まっています。糖尿病と狭心症の持病をもつわたしが、この強行日程をなんとかこなせるのは、私だけに効く特効薬があるからです。梅干と明太子と卵の黄味と白ご飯の朝飯。これがポパイのほうれん草になります。 なぜなのかはわかりませんが、梅干が紀州の上物、明太子は博多のT店のだと、実によく利くような気がします。 |
2002/3/17 暑さ寒さも彼岸まで、といわれますが、今年は今までになく暖冬の感じで、もうすでにお彼岸は来てしまったかに思えます。 例年ならまだ春蘭が盛りで、日本春蘭の色花や遅咲きの中国春蘭が、我が物顔で棚を占領しているところです。人気コンクールの行方がどうなるか、投票締め切りの日が近づくにつれて、お客様の関心も高まってくるところです。 ところが、今年ばかりは様子が違います。この二、三日で花首をがっくり垂らす株が増えています。公平な投票が難しい状況が急速にひろがってきました。 それと引き換えに、えびねの元気さはどうでしょう。冬至芽は毎日目に見えて膨らみ、早いものはもう蕾をのぞかせ、あと10日もすれば色づいてきそうな勢いです。お尻でもつつかれたように、15日には何鉢か店に並べてしまいました。 虫がしらせたのか、今年はえびねの展示会の日程を、例年より一週間早めて、4月17日からとしたのは、どうやら正解のようです。 えびね業者組合の有志が、ひと足早く12日から、上野で展示即売会をやって、シーズン到来ののろしをあげてくれます。ここに来て思ったより太い花芽をあげてきたえびねが多いのにも勇気百倍です。ボルテージが上がりっぱなしの春本番はもう始まったようです。 |
2002/3/10 人気コンクールの中間報告です。ことしは出品数27。決して多くはありませんが、二階の展示場には丁度手ごろなところかな、といった感じです。何より嬉しいのは、皆さんそれぞれ手塩をかけた作品をだしてくれて、非常に見ごたえがあることです。 「翠桃」を飾ってくれたTさん。小さな花が一輪ついただけですが、それがこの花の良さを100パーセント出していて、見る人の足を引き止めています。 日本春蘭の「明星」をだしたNさんは、これ以上の色だしは無理だろう、とみなに言わせるほどの出来栄え。人気1賞のほかに、培養賞もあっていいのではないか、という声があがっています。別の方が出品した「富士の夕映え」も「極紅」も、よい発色で票が分かれるところでしょう。 中国奥地の蘭も黙っていません。葉姿、花、全体のバランスがそろわなくても、「春鶯曲」と命名されている蓮弁のピンク花は、花だけでトップに躍り出そうな勢いです。 朝昼晩でもすでに取り上げましたが、「雲南雪素」が名の通りの真っ白い花で咲いたのも、奥地の蘭の評価を高めています。株分けされて昨年ほどの迫力はありませんが、Haさんが愛倍している「飛天」も負けていないようです。 そして何よりの収穫は「松村月珮」のすばらしさです。これが蘭寶ャ史の「月珮素」かどうかは分かりませんが、月珮の名にふさわしい名花といえそうな気品を感じます。 |
2002/3/3 3月の声を聞くと、なんとなく気ぜわしくなります。色々な仕事が待っています。春蘭、寒蘭の植え替え、ウチョウランの水遣り開始、そして春蘭からえびねへの移行。言葉にすると簡単ですが、お客様相手の商売の合間に、こなしていかなければならないから大変です。 例年、多かれ少なかれやり残しては、後になって悔やむことの繰り返しです。正直なもので、不精するとまず碌なことはありません。 こんどこそそんな愚は繰り返すまいと、杭州寒蘭に関しては、昨年からせっせと植え替えをやってきました。まだ大丈夫そうな鉢でも、化粧砂は新しいのに換えてきました。これからの仕事は、増殖のためのはさみ入れです。 エビネは昨年、ほとんど手をつけませんでした。7月のどかんと来た暑さで、病気(ウイルス)が心配になり、それをいいことに不精を決め込んでしまいました。 その付けは必ず回ってくるはずです。花の来る株はいいとして、花がきそうもない株は、この時期、せっせと植え替えてやるのが一番です。これが後で大きな収穫を生みます。特にニオイエビネの苗は、毎年こまめに植え替えるのが一番のようです。 今年も8日(私の誕生日)から水をあげ始めるウチョウラン。素直に芽を上げてくれればいいのだけれど、心臓に悪い日が続きそうな予感がします。 |
2002/2/24 27日(2月)から春蘭の人気コンクールが始まりました。途中クマネズミの被害で一度休みましたが、もう5回目になります。まだ私の店の二階の、狭い部屋でするささやかな催しですが、いつかは山の手いちえんを巻き込むほどの規模にできればと、夢だけはでっかく持っています。 東洋蘭の歴史をみると、昔は庶民には手の届かない別世界のものでした。言ってみればお金持ちのステータス・シンボルでした。 何年先に咲くか分からない当歳苗でも、「豊雪」をもっているだけで(当時開花株は一千万円といわれていました)別格扱いされたものでした。それがいまはどうでしょう?価格が急降下したこともあって、「豊雪」をもっているといっても、誰も鼻も引っ掛けてくれません。 もう持っているだけで自慢できる時代ではなくなったのです。これからはすばらしい「豊雪」を、さらにいかに見事に作るかでしょう。 私が人気コンクールを始めたのもそのためです。たとえ偶然であったにせよ、上手にできたものを持ち寄って、お互いに自慢し合い、勉強する楽しみが、これからの園芸の道ではないでしょうか。私はそう確信しています。 蘭は三年作るとその人の木になるといいます。几帳面な木、おおらかな木、それぞれの力作を前に、己をしばし反省するのも、またよしではないでしょうか。 |
2002/2/17 東洋蘭の春の植え替えの適期は、一般にお彼岸過ぎといわれています。厳しかった寒さもだいぶ緩んできて、三月の下旬は、春本番の気配に、森羅万象がウキウキしはじめる時です。 われわれ東洋蘭マニアは、そろそろ植え土の準備に入ります。今年はどんな配合土にするか。毎年微妙に変わっていくのがこの世界の常です。 先日も中学の先輩から電話があって、硬質鹿沼土の細かいのが入らないかと訊いてきました。化粧砂に混ぜて使うと根の出来が非常にいい、と九州のプロに聞いたのだそうです。 私が見た限り、先輩の作りは見事なもので、つめの垢でも煎じて飲みたいくらいに思っているのに、この上なにを悩むことがあるのか、電話の声は、真剣そのものでした。 確かに、心のより所というのがあります。ある時期の私が、特殊なミーフン党で、それなしの培養は考えられませんでした。 屠殺場の汚物をミミズの飼料にしてできたミーフンは、腐葉土のそれとは格段の違いで、鉄分などさまざまな微量要素が豊富で、これを化粧土に混ぜていました。 ミーフンは数年で、残念なことに、供給不能となってしまいましたが、考えてみると、その時期の作りが一番よかったような気がします。 私が世話した硬質鹿沼が、うるさい先輩の“ミーフン”になってくれればいいのですが、どういうことになりますか。 |
2002/2/10 ことしの春蘭展は13日からですが、暖冬気味とあって、2月のはじめにはもう満開に近い状態になっています。年をとると寒さが堪えるので、23度の暖房を昼間入れっぱなしにしていたのも、開花を早めたようです。 毎年、中国春蘭と日本春蘭は展示会の日時を別けていたのですが、今年は日本春蘭の花上がりが悪く、やむを得ず、同時開催となりました。 代わって、私が密かに期待していたのは、27日からの“人気コンクール”です。できるだけ多くの人に参加してもらって、こちらのほうでお祭り騒ぎができれば、春本番とともに、年前半のメインであるえびね展に、突入できると考えていました。 ところが、どこも開花が早いようで、どれだけコンクール用の展示品を集められるか、やきもきする毎日が続いています。 幸い、今年は自由テーマで、東洋蘭であればなんでもOK、ということにしてあったので、格好はつくでしょうが、宋梅とか竜字に絞っていたら、クマネズミがでなくても、またまたコンクール中止、てなことになったかもしれません。 今のところ、できるだけ参加したいとおっしゃる方が、例年より多いので、こちらとしても、賞品で誠意を見せなければいけないなあと、真剣に考えております。 |
2002/2/3 1月の29日からやっている日本橋・三越での春蘭展で、私にとっては嬉しい掘り出し物がありました。写真の豆弁緑です。 豆弁緑との出会いは、もう十数年前になりますが、まだ世田谷区民会館で蘭展をやっていた頃でした。杭州寒蘭に初めて出合った時と同じショック、感動を覚えたものでした。 杭州寒蘭のグリーンもすばらしいが、豆弁緑のグリーンはそれに勝るとも劣りません。究極のグリーンがあるとすれば、それは豆弁蘭の花だといっても過言ではないような気がします。 ところが、残念なことに、豆弁蘭には香りがないのです。葉姿もよくありません。作りにくいともいわれていて、これまで私は杭州寒蘭一本に絞ってきたのでした。 一花ではなんといっても伝統のある中国春蘭があります。朶々香など他の春蘭と比べて、葉姿も優れ、香りも強く、梅弁,水仙弁、荷花弁で選別された花は、どれも見事です。 それに比べると、葉姿で大きく見劣りし、香りもないというのに、どうしたことでしょう?衝動的に私は写真の豆弁緑を買い求めていました。 豆弁にしては、葉姿もまとまっていて、花茎も伸びすぎず、絵になっていることもありますが、それは後からの理由です。花の色と形が決め手でした。 豆弁ではありふれた花かもしれないが、これからこの蘭は切っても切れないものになりそうです。 |
2002/1/27 杭州寒蘭紅花素舌の続報です。昨年12月2日のこの欄で、紅花素舌の顛末は報告したのですが、Oさんのところで残っていたひとつがやっと咲き出しました。 この花は蕾のときはグリーンで、開く少し前から赤く色づきはじめて、間違いなく杭州寒蘭そのものでしたが、残念なことに素舌ではありませんでした。のどの奥には赤い点があり、舌の前面部分にもそれがこぼれていて、無点系ともいえないものでした。 3花ついた初花で、まだ一番上が蕾の状態ですから、色がどこまで乗るか定かではありませんが、Oさんにいわせると、素舌でなくても、見ごたえはある花だそうです。 青花素舌(いわゆる素心)を除けば、舌に色が乗らない花は、ごく稀にしかみつかっていません。その中でも紅花となると、皆無といっていいでしょう。浅学で間違っているかもしれませんが、日本の寒蘭ではその存在を知りません。 そんなわけですから、わたしが紅花素舌に異常にこだわる気持ち分かっていただけると思います。素舌に見える写真つきで手に入れた私のは、ただの中国寒蘭の赤花無点でした。 こうなると、昨年盗まれて一部が戻ってきた、静岡の牧師さんが持つ杭州・紅花素舌が、残された最後の頼みの綱です。牧師は例の同時多発テロでバチカンに呼ばれて、当分帰れそうになく、花の管理は留守を守る尼僧とか。私としては、なんとか花をつけて欲しい、と祈るのみです。 |
2002/1/20 阪神大震災からもう7年がたちました。あの時私は、中学の友達を見舞うために、車で湘南に向かっていました。ラジオから刻々と惨状が伝えられていましたが、まさかあれほどの被害が出るとは思ってもみませんでした。 7年たったいまも復興は十分とはいかず、逆に震災体験の風化が問題視されているようです。私自身も当初は、備えあれば憂いなしと身構えたりしましたが、いつの間にか無防備な日々を送るようになっています。 店の中を見回しても、防災対策は何一つ取ってはいません。万一ぐらりときたら、黄さんから預かっている高価な中国古鉢はもちろん、欅窯のコレクションもパーだし、大事な杭州寒蘭だって滅茶苦茶になってしまうことでしょう。 東海地震は確実に近づいていて、明日起こっても早過ぎる状況ではないといわれているのに、この有様です。度し難きは私のような人間で、痛い思いをして初めて後悔するしかない輩なのでしょうか。公平な神様がどんな裁きを下すかは明らかな気がします。 にもかかわらず、まだ腰を上げようとしない私がここにいます。生きてる間は来ないで欲しいという祈りが、いつの間にか生きてる間は来ないと勝手に思いこもうとしているのです。こんな私を阪神の方はどんな目で見ることでしょうか。 |
2002/1/13 一月も半ばを過ぎようというのに、ことしは杭州寒蘭がまだ元気に咲いています。こんなことは今までありませんでした。一体どうしたのでしょう。 昨年は東京で二つの杭州寒蘭展が開かれました。これは初めてのことです。ひとつは日本中国蘭協会主催の第一回展(東京駅・大丸)、今ひとつは多摩蘭遊会主催の第二回展で、どちらも三重の愛好団体が協賛してくれました。 大丸店の方は地の利を得てファンを集め、多摩は二度目とあって来場者が倍増したそうです。杭州寒蘭への関心が、どうやら高まってきたことは確かのようです。 黄業乾さんが中国・浙江省の杭州植物園から持ち帰って、東京でお披露目してから四分の一世紀が経っています。花のすばらしさから見て、遅すぎるブームの始まりという気もしますが、それだけに根の張った着実さを私は感じています。 二年前に中国から入れた株から、黄さんが持ってきたころの、透明感の高い花がかなり咲いたことも、杭州への期待をふくらませています。 昨年二度にわたって取り寄せた株も、ファンの方たちに大いに期待されています。初花株のなかから大当たりを狙うお客様のまなざしが髣髴と浮かびます。まだ元気に咲いている杭州寒蘭たちは、おらが時代の到来を謳歌しているのでしょうか。 |
2002/1/6 皆さんはお正月をどんな風に過ごされたでしょうか。年内に生まれ故郷に戻って、除夜の鐘をさまざまな思いで聞いたあと、三が日をのんびりと寝正月で過ごす、そんな方も大勢いらっしゃったと思います。 私も毎年、三が日ぐらいのんびりしたいと思いながら、いつも中途半端に終わっています。これも生き物をあつかっている者の宿命なのでしょうか。 遅い元日の朝、明けましておめでとうの挨拶もそこそこに、天窓をあけなきゃ、生水苔のふたを早く取ってやらなきゃ、なんて考えて、足は自然にお店に向かってしまいます。店に行けばそれだけで用はたりません。 コケの生えた表土が気になります。綺麗好きの蘭に不精は禁物。化粧砂だけでも早々に変えてやらなきゃあ、ということになります。 気がつけば、元日からもう働いている、そんな園芸人生28年だったような気がします。でもそれに不満はありません。蘭とともに居ることでどれだけ心が休まるか、蘭もまた私の足音を待ってくれているはずです。 蘭に聞いて蘭を養い、蘭を養って蘭に養われる・・今年もこれをモットーにせいぜいがんばりたいと思っています。 |
2001/12/23 蘭作りは何年経っても、これでいいということがありません。植え土ひとつとっても、駆け出しのころからきょうまで、どれだけ変わったことでしょうか。 私に中国春蘭の作り方を手ほどきしてくれた中村弥豫爾さん(前宋梅会会長、故人)は当時、真っ黒な富士砂を使っていました。粘土を焼いたクレイボールに富士砂を適度に混ぜ、化粧は富士砂単用にする植え方でした。水をやると富士砂が黒く光ってきれいでした。 しかし、この作りだと、根が痛んでいないのに黒っぽくなっていて、見た目が悪いのです。石も硬いので根はゴツゴツしていて、スマートさがありません。 その頃、プロの蘭商は大方が、硬質鹿沼とクレイボールの混合砂を使っていました。これで植えると根はすんなりと伸びて、しかも真っ白なのです。思わず惚れ惚れとしてしまうほどですから、こちらに乗り換えたのはいうまでもありませんでした。 しかし、やがて良質の硬質鹿沼が底をつき、クレイボールもダメになって、試行錯誤の果てしない旅が続くことになります。いま私が使っているのは宮崎産の赤ボラが主体です。 最近では高知のダケ土を使う人が増えています。大変重い土で年寄り向きとはいえないのですが、長いこと植え替えなくても根は痛まないそうです。本当ならたいへん結構な話ですが、どだい植え替えが面倒くさいようなら、蘭作りなどやめてしまったら、と私はいいたいですね。 + + + ことしの「今週の話題」はこれで終わります。ご高覧ありがとうございました。来年は1月6日からスタートします。どうぞ良いお年をお迎えください。 |
2001/12/16 春蘭でも寒蘭でも、カトレアや胡蝶蘭でも、必ず名品というものがあります。では名品とはどんなものなのか?こうまともに質問されると、大抵の人は「綺麗な花で、えーとえーと・・」としどろもどろになってしまうのがおちでしょう。 杭州寒蘭を日本に紹介して、早くに亡くなってしまった黄業乾さんは、名品の条件をいとも簡単に説明してくれたものです。 それは、だれが見ても綺麗で、それとすぐわかる特徴があるもの、だというのです。綺麗でも似たような花がいっぱいあれば、確かに名品だと区別のしょうがないでしょうし、いくら特徴があっても、きれいでなければ、だれも鼻もかけてくれないでしょう。 名品となると、昔から値段は高価なものと決まっていましたが、それは希少価値からそうなるので、「豊雪」がいい例です。 デビュー当時は、目も覚めるような白花の出現ということで、爆発的な人気を呼び、開花株は百万円台を通り越して、千万円台という天文学的な高値を呼びましたが、いまはどうでしょう?1芽1万円だという話もききます。もちろん大きな理由は数が増えて希少性がなくなったからです。 でも、「豊雪」が名品であることは不変です。ともすると希少性を追いかけがちなこの世界で、大事なのは、名品をコレクトすることではないでしょうか。名品は不滅です。 |
2001/12/9 バブル期と歩調を合わせた、えびねブームの到来の時といい、ウチョウランの全盛時代といい、シーズンになると、全国いたるところで、盛大に展示会や即売会が催されたものです。東京のデパートでも地方の業者がでてきて、賑やかな催しのオンパレードでした。 展示会の規模や数で、いま何がブームなのかは一目瞭然でした。もう30年近く前、日本橋の三越で、はじめて一千万円といわれる「豊雪」を見て震えたのも、おもえば寒蘭ブームの最中でした。 園芸の世界で、いまブームといえるのは、ガーデニングのようで、われわれ古典園芸派はちょっと旗色が悪いようです。バブルの崩壊と共に、えびねも寒蘭も価格破壊が起こって哀れをとどめ、ウチョウランに至っては、交配種の氾濫でマニアががらっと変わってしまいました。 それでも新しいブームを求めて、いろいろ新しい試みが行われています。今年の春、伊豆の一碧湖畔で行われた日本えびね協会東日本のえびね展は、ささやかでも一つの刺激でした。 今月は杭州寒蘭で二つの展示会が東京であります。一つは13日から18日まで東京駅大丸9階特設会場で、日本中国蘭協会の主催です。いま一つは15、16の二日間、調布市の文化会館11階で、こちらは多摩蘭遊会です。どちらも三重の愛好団体が参加協力してくれます。 杭州寒蘭は、その良さがようやく知られ始めたばかりです。この二つの展示会が杭州ブームの力強い起爆剤となってくれるかどうか。心から成功を祈ってやまないところです。 |
2001/12/2 寒蘭の素心は、少ないといっても、どこの産地でも見つかっていますが、素舌の色花となると、滅多にありません。日本では「静素」「燦月」「燦峰」「若桜」くらいで、いまでも素心以上に人気は高いようです。 数年前、中国から写真付きで杭州寒蘭の紅花素舌と素心と「奔月」を手に入れました。このうち「奔月」は青サラサ素舌の見事な花で、いま私の店の目玉になっています。だが、素心は平凡なサラサで咲き、今年やっと花がきた紅花素舌は、杭州ではなく、しかもただの前面無点花でした。 杭州寒蘭の紅花素舌は、例の静岡の牧師さんが持っていますが、今年盗難に遭って、戻ってはきたものの、花の部分は行方不明。まだ話だけで見る機会にめぐまれません。上得意のOさんも別口で入れたのがことし花がきているそうです。蕾はグリーンで上がっているというから、こちらは期待できそうです。 杭州寒蘭マニアで、プロになった埼玉のKさんが、数年前、日本橋の三越で展示会をやった時が、素舌とのはじめての出会いだったと思います。「孤舟」と命名された、薄墨色の濃いサラサ花でしたが、そのときの感動は今でも強烈に残っています。いい花でした。 しかし、その後の「孤舟」はどうなったのか。一向に再会のチャンスがありませんし、「奔月」は残念ながらことしはお休み。あとはOさんの木が咲くのを待つしかありません。雅子さまおめでたの日、まだ蕾は青く、上を向いたままだそうです。 |
2001/11/25 東京・神宮絵画館前のイチョウ並木の黄葉は有名です。時期になると一日中見物の人通りでごった返し、アマチュア・カメラマンも大挙して押しかけ、それぞれが思い思いのアングルで熱心にシャッターを切っています。 数年前、偶然通り合せてその美しさに息を呑んだことがありました。黄色が輝いていました。やがて落葉していくとは思えない、命の躍動を感じたものです。以来すっかり虜になって毎年時期になると、ヒマを見ては出掛けています。 でも、それ以来素晴らしい黄葉に出会ったことは一度もありません。もちろん丁度うまいときに行けなかった事もありますが、黄色く色づいていても艶がなかったり、葉の傷みが酷かったり、まだらだったりで、今ひとつ食い足りない年がつづいています。 ことしも5日前に行ってみたら、まだ少し早い感じでした。今週が見頃となることでしょうが、黄色の艶がちょっと足りないような気がしました。これからの冷え込みで、艶が出てくれば、昔の感動がよみがえるかもしれません。 杭州寒蘭もイチョウと同じで、いい年もあれば悪い年もあります。一様に行かないから、来年こそはと頑張れるのかもしれませんね。救いは何鉢か作っていると、どれかがいい感じで咲いてくれることです。ことしは今のところ「黄玉山」と「孤峰」がまずまずです。 |
2001/11/18 確かバブル崩壊の直前だったと思うのですが、新宿のデパートで大手の東洋蘭業者が寒蘭展をやったことがあります。「豊雪」大会と称して、お客様から「豊雪」ばかりを集めて展示しました。即売品も入れるとかなりの数になったようです。 いまのように一鉢の値段が数万円なら別ですが、まだ数十万円していたときですから、正直な所びっくりしました。どんないい花でも、値段は希少価値できまります。私は寒蘭の暴落を直感しました。私だけでなく大方のマニアもそう思ったに違いありません。 予感はみごとに的中して、値下がりが続き、ことしも立ち直る兆しは一向に感じられません。マニアにとってみれば、高嶺の花とあきらめていたものが、ただ同然で手に入るようになったのだから、小躍りしていいはずなんですが、妙にしらけ切っています。 今年はそんなつれないマニアに、意地をみせたのか、「燦月」も「寿紅」も「楊貴妃」も「秋水」も、いつになく、みんな立派な花をつけました。値段は人間どもが勝手につけたもの、安くなったからといって、俺達のよさが変わるわけはないんだ、といいたげです。 これから先、日本の寒蘭がどういう運命をたどるのか、私には予見できませんが、今年ほど、寒蘭ていいなあ、と思ったことはありません。精一杯に咲き誇っている彼らに囲まれて、いまこの原稿を打っている私です。幸せいっぱいの気分で。 |
2001/11/11 こんどは何にするかと、取り上げる話題に困っていたら、ふと昔のことを思い出しました。まだ新聞社のデスクをやっていた頃のことです。 予定していた一面の記事が突如ダメになった時、穴埋め原稿をどうするか、これはデスクの最大の悩みでした。私がいたのはスポーツ新聞だったので、巨人戦があれば、トップの記事に悩むことはありませんでしたが、ゲームが二、三日流れたり、シーズン・オフは大変でした。 こんな時、大いに助かったのが長島と王でした。丁度二人の全盛時代で、「困った時はON」の合言葉で切り抜けたものです。 読者のほうも、長島と王のことなら、どんなことでも飛びついて読んでくれます。ファンの最大の関心事ですから、一面に持っていっても誰も文句はつけません。デスクにとっても、ONさまさま、寄らば大樹の陰でした。 一面とはいかなくても、いま取り上げるなら田中真紀子さんでしょうね。支持するしないは別として、記事が読みたくなる渦中の人ですから。 そして、今週の話題で困った時は、黙って杭州寒蘭です。いままで3輪が最高だった「孤峰」の花はことし6輪きています。「黄玉山」がいい感じで笑い出しました。「崑崙」「西施」「挿雲」など、初期の花が続々咲き出しています。待ってますよ、21日の初日までといわずに見に来てくださーい。 |
2001/11/4 10月29日の朝昼晩で中国寒蘭の青花「大河」のことを取り上げましたが、ここでは赤花の「紅彩」の話をしたいと思います。 これも残念ながら杭州寒蘭ではなかったのですが、「室戸錦」「緋燕」(土佐寒蘭)に勝るとも劣らない、中国寒蘭のいい花だと思います。 もう20年も前の話ですが、ある業者が大量に入れた、山採りの杭州寒蘭見込み株の中にあったもので、当時は中国寒蘭がひどい時は、半数以上混じっていたものでした。 マニアの目は、杭州寒蘭だけに向けられていて、中国寒蘭だとわかると、ろくに見もしないでお粗末に扱ったものです。 そんな状況の中で生き残り、名前までつけてもらったのですから、やはりそれだけの力を持っていたのでしょう。選別、命名したのは、私の記憶に間違いなければ、欅窯の三橋俊治さんです。 ある年の寒蘭展に出品してくれて、そのまま私のところで管理しているうちに、頂いてしまったような状態になっています。すみません、三橋さん、いつでもお返しします。 ところで、この「紅彩」咲きはじめもいいが、時間が経つにつれて、花が大きくなり、堂々としてきます。「室戸」と同じように無点系で、無点で咲いたときは、誉める言葉がみつかりません。 三日前から笑い始めました。お近くの方はぜひ見てやってください。 |
2001/10/29 昨年、久し振りに中国から取り寄せた杭州寒蘭が、やっと届いたのが丁度今ごろでした。半分は花芽つきのはずでしたが、実際には殆ど花芽はなく、たまに付いていても痛んでいて、落花するのが落ちでした。 それに懲りて今年は、花芽がまだ殆ど伸びていない九月に入れたらと考え、八月に早々と発注したのでした。半分は花芽つきでということも、念には念をいれたことでした。 でも実際に着いたのは、昨年よりたった二週間早いだけで、しかも花芽つきは一割も無い始末。根も水切れしてからからになっていました。あわてて二日水漬けにしたけれど、何とか花が見られそうなのは数株に過ぎませんでした。 二年続けて裏切られたいらだちを、しかし、昨年の株が癒してくれています。三株寄せ植えで作ってきた株の花上がりが、予想以上に好調で嬉しいかぎりです。 しかも、杭州かなとクエスチョン・マークをつけていた株にも、花芽を見ると間違いない杭州寒蘭、というのがあったりして、この時期、私の店の大きな目玉になっています。日本の寒蘭展が始まっているのに、お客様の目は杭州にへばりついているようです。 後はどれだけいい花が咲くかです。むかし黄さんが持ってきた「これぞ杭州寒蘭」といった、緑と白舌の、限りなく透明に近い花がでたら、もう中国に足を向けて寝ることは絶対にしません。 |
2001/10/21 あなたの所ではどうですか?こんなことっていままでありませんでした。ようやく寒蘭の季節が到来して、あのなんとも上品で優しい、そして控えめな香が楽しめるはずなのに、今年はどうしたことか、さっぱり匂わないのです。 寒蘭の香はそばで嗅いでも、中国春蘭やえびねのように強烈ではありません。でもその馥郁とした芳香は、信じられないほど遠くまで流れます。 私の店で寒蘭展をやる時期は、1キロほど離れたバス停で降りたら、香っていたよというお客様が時々います。むかし山へ寒蘭を採りに行くときは、地面を探すのでなく、香を追いかけたものだと古老から聞いたことがあります。 いまや寒蘭の山という山は、人の入らない所はなくなって、開花するような大株があろうはずもなく、虫眼鏡持参でいかなければ、といわれています。香など望むべくもありませんね。 ところで、中国では蘭のことを長生草といい、その香をひと嗅ぎすると10年長生きできるといわれています。そういえば蘭をやる人には長命の方が多いようで、あなたの周りでもそんな傾向がありはしませんか。 その長寿にかかわる大事な香が、いまのところまったくしないのです。「もう年で鼻が利かなくなったのさ」と悪口をたたくお客様も「確かにしないねぇ」と首を傾げています。 |
2001/10/14 今年も中国から杭州寒蘭を入れました。昨年は送られたものが、最初の話とは全く違ったりして、すっかり頭に来て、この項でわめき散らしたのを覚えている方もいらっしゃると思います。 それが今年もまた入れる気になったのは、前にもいったように、昔の花が混じっている可能性が高いという気がするからです。この春上がってきた新芽にも、魅力的なものがいくつかあって、もう一度騙されて見るか、となったのです。 昔の花になぜそんなに惹かれるのかといえば、杭州寒蘭のよさをすべてもっているからです。杭州のよさは、緑の花弁と舌の白さです。普通、寒蘭の青は緑黄なのですが、杭州は黄色を殆ど含まない緑で、日本春蘭の色花に勝るとも劣らない輝きと透明感があります。 さらに雪のように真っ白な舌は、花弁の緑と見事なコントラストをみせ、捧心に覆輪があれば、また一段と魅力をまします。20年前「西湖」を初めて見た時の感動は、本当に青天の霹靂といったところでした。しばらく動けませんでした。 ここ数年台湾経由などで入ってくる杭州寒蘭は、純度の点でやや物足りないものが多いのです。昔の花を知らなければ、それはそれで素晴らしいのですが、無いものねだりをしたくなるのが人間です。今回は浙江省のものといわれて(本当かどうか不明ですが)ひとりワクワクしています。 |
2001/10/7 寒蘭の花が早そうです。今月の24日から寒蘭展が始まるのですが、ここ2、3年は毎年咲きそうもなくてヤキモキしたのに、今年はむしろ早すぎはしないかと心配するほどです。早咲きの「憲陽」はもちろん「錦旗」も「土佐鶴」も多分咲き出していることでしょう。 40度近い7月の猛暑にはほとほと参って、今年も開花は大幅に遅れるだろうと覚悟したことでした。それがどうでしょう。8月に入ってからはそれほどの暑い日がなく、なにより残暑らしい残暑がないという変な気候で、救われる結果となりました。 この異常気象が寒蘭の花色にどんな影響を与えるのか。皆目見当もつきませんが、「豊雪」の花茎は今年も淡いグリーンで、乳白色では上がっていません。でも「寿」は妖しいまでの桃紫紅色です。おそらくこれまでで最高の発色でしょう。 杭州寒蘭も早い点で例外ではありません。これからよほどの天候異変がない限り、2週間から3週間遅れで開花してくるでしょう。杭州の泣き所は、遅く咲くと花形が狂う場合が多いのですが、今年はその心配もなさそうです。 昨年より作場を少し明るくしたのが良かったのか、花上がりは大変いいようです。やっと力のついた「孤峰」と「飛竜峰」が楽しみです。これで、今年も懲りずに頼んだ杭州寒蘭の花芽付きが、中国から期待通りに来てくれたら、もう言うことなしなんだけどなあ。 |