Menara Homestayの場所はUbud Mapの2。 私が泊まった部屋。こうやって見ると素敵な感じだけど、庭はたいして広くない。 裏庭ぞいに歩いていくと、Jl.Bismaに出る。 | |
ポットとコーヒーと紅茶が備え付けられてるのは、うれしいね。夕方にはいつのまにか火がついた蚊取り線香が、入り口に置かれてる。火がついてるから、帰りが遅くなると残りが少なくなっちゃう。 | |
一人には広すぎるダブルベッド。寝ていると、鳥が屋根を歩く音、ネズミの鳴き声、それをネコが追う音、明け方からはいろんな鳥のキチガイ声、さまざまな音が絶え間なく聞こえてくる。一度は屋根と壁の隙間からゴキブリがバタバタッと飛び込んできたから、BALI ADVERTISERで殺した。これが南国のイヤなところ。 | |
巨大なバスタブ。寝そべると頭の先まで水の中に沈んでしまう。いつまでもお湯が溜まらないし、石造りだから溜まった先から冷えていく。とても不経済な風呂だ。 | |
面倒を見てくれたCok Istri姉妹。女性の名前がみなおなじってのは不便だぞ。左が通称No.10、もらった名刺にはCokorda Istri Putra Nurhaniと書いてある。右が通称No.4、Cok Istri Sri A.A.Sutedja。最後は夫(あるいは家族)の姓だから、するとPutraとSriが名前?スカワティの市場でモデル立ちしてもらった。 | |
こちらが運転してくれたプトゥ・アグン、御年77才。77の割には運転がしっかりしてて元気。インドネシアの男性がそんなに長寿とは思えないから、太陽暦で数えてないのかも。 デンパサール〜タナロットの車チャーター料金は200だった。ファミリー料金ということで、8時間拘束したわりには安かった。 | |
ばあちゃんとCok Istri妹がマカン・シリ作りをしている。ばあちゃんは82才だそうだ。この年齢についても疑問が残る。 | |
Cok Istri妹の次男HARJUNがお手伝いのカデに勉強を教えてもらってるところ。彼はまだ1年生だから10時ころには学校から戻ってくる。その後午前中はみっちり宿題、午後はこうやって勉強を教えてもらう。2ケタの足し算も時計の読み方もできる。ダンスにも通ってるし、Ubud流英才教育?お兄ちゃんのクリシュナはサッカーに夢中で家にいたためしがない。 | |
サラスワティのお祭りにそなえて、若いヤシの葉を買ってきてお供え物を作る。このあとHARJUNたちがやってきて、せっかくの緑のヤシの葉で自分の冠などを作りはじめてしまう。 | |
翌日帰る私のために、Cok Istri姉が豪華なランチを作ってくれた。これはフィッシュサテ。ちなみにフィッシュはやっぱりツナ。ミキサーは使わず、臼でトントンたたく。ご飯を炊飯器じゃなくて薪で炊くのが、一番難しいんだそうだ。 | |
さぁ豪華な昼食ができあがりました〜。ポークサテ、フィッシュサテ、バナナの若い茎のスープ、ナシクニン(ターメリックで色づけした黄色いごはん)、チキン炒め、野菜炒め、試しに作ってみたトウフにサテをはさんで揚げたもの、等々。ガキをぬかして、主賓である私が満腹になるまで他の大人たちはあまり取らずにガマンしているところが、なんともバリニーズらしい。 | |
サラスワティのお祭りの日。みんな正装して学校へ向かう。子どもたちはまず学校で行事があるんだそうだ。この日は読み書き禁止。 | |
HARJUNが帰りのシャトルバスを待つ間、ダンスを見せてくれると言い出した。まずは正統バリダンスから。 そういえば男性の名前がまた複雑で、HARJUNの名前は、A.A.BAGUS HARJUNANTHARA SUTEDJA。最初のA.A.のどちらかはAgung、SUTEDJAは父方の姓。 | |
伝統芸能から一転、AFIの曲に合わせて歌い踊る。AFIはTVのオーディション番組名で、地方予選から勝ち抜いた男女12人がCDデビューした。インドネシアのモー娘。ってところかな。この12人がさらに選考されて、グランドファイナル・コンサートで優勝者が決まったらしい。投票は各家庭に繋がれたSMSってのでできるから、子どもたちが夢中になるのも分かる。 |