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2002/12/29(日)
 ここ数年こんなに押し詰まるまで、店を開けていたことはない。ことしは杭州寒蘭の開花が遅れたこともあって、目一杯働いてしまった。
 そのご褒美なのか、店じまいの間際に「西湖」がでる。いい花が認められて売れるのは嬉しいものだし、気持ちがいい。
 学研のSさんがきて、杭州の淡い素心をみせてくれる。やさしくて、素心の持つ品のよさが漂っている。
 Sさんといえば、素心のトップをいく、緑の濃い、花形抜群の「翠皇」をもっている人でもある。好みが合うのか、どれも欲しくなるものばかりだ。
 杭州寒蘭はこれから咲いてくるものもまだあって、年が明けてもしばらく続きそうだ。

 これで今年は終ります。どうぞよいお年をお迎えください。来年は4日より始めます。

2002/12/27(金)
 いやあ寒い。各地とも軒並み氷点下で、東京も今冬一番の寒さだったようだ。我が家の庭にもはじめて霜柱がたった。
 風が異常に冷たい。でも素晴らしい快晴のお天気なので、風の無い陽だまりは、ぬくぬくして気持ちがいい。
 温室の蘭に一斉に水をやる。これからは温室と外とでは、水遣りの間隔がまったく変わってくる。乾きがまるで違ってくるからで、温室の大鉢は一ヶ月以上やらなくてすむ。
 趣味の人は水をやるのが楽しみだろうが、こちらはもう苦しみなので、水をやらなくてもいい作り方ばかり考えている。
 IBMのHさんがくる。最近は蘭から仏像彫に趣味が移っていて、いい鑿を手に入れるために、品不足の「緑英」の株立ちをだしてくれた。
 こんな風に、お客様の協力が無ければ、成り立たないのがこの商売だ。


2002/12/25(水)
 前夜遅くまで、年賀状書きに追われて首が痛い。筆なんか滅多にもたないのでなおさらだ。
 店のほうはもう、戦い終わって日が暮れて、の感じだから、白石さんも早めに帰宅してしまう。
 午後、杭州寒蘭の問い合わせメールに返事をうっていたら、横浜のHさんがくる。借金を残して年は越したくないと、清算にきてくれたのだ。
 ことしももう余すところ6日。早いものだ。


2002/12/23(月)
 毎年お歳暮や自家用の、シクラメンやシンビを市場で買って、店まで配達してもらっている。
 ことしはきょう昼前にもってくるというので、休みの日でもあり、のんびりでてきたら、もう配送車がついたところだった。
 慌てて店内に運び込んだので、足の踏み場もないほど。シクラメンと杭州寒蘭とシンビが同居する異様な光景になった。
 そんな中に、旧制高校の先輩Tさんが展示してくれていた杭州寒蘭をとりにくる。
 いつもは奥様が運転手になって運ぶのだが、今回は体を壊されているので、タクシーで持って帰るという。
 たまたま車を持ってきていたので、無事送り届けることができたまではよかったが、そのあとがいけなかった。
 世田谷と杉並はタクシーの運転手泣かせとはきいていたが、一箇所通行止めがあったお陰で、迷路にはまって大汗をかいてしまった。

2002/12/21(土)
 朝から雨で寒い。今日明日と調布で、多摩蘭遊会の杭州寒蘭展があるので、こちらも早々と店を閉めて出掛けてしまう。
 展示会での第一印象はグリーンの綺麗な花が多かったこと。例年のことだが、会場の文化会館の照明が、さらにそれを引き立てている感じだ。
 無名の出展が多かったが、ぜひ名前をつけてやりたいような花がいくつもあった。
 杭州のよさはなんといっても、グリーンのよさと舌の白さにある。その点、質の高いものが多いような気がした。
 閉館後、みんなで食事にいったが、ルーペのSさんの車だけはぐれてしまい、気の毒なことをした。こちらが車を勘違いしたのがいけなかった。


2002/12/19(木)
 横浜のHさんと、その友達で和歌山の蘭商の橋本さんが来る。全国的にブームになりだした杭州寒蘭をちょっと見ようというわけだ。
 橋本さんはえびね業者組合の仲間だったこともあって、ざっくばらんにいろいろ話をする。
 遅まきながら和歌山の方でやる気になってきたようで、いい物をけっこう持っているHさんの存在が大きくなるだろう。
 杭州寒蘭があちこちで愛培されるのがこちらの夢なので、気分がよくなり、お土産に前から欲しがっていた九華の「南陽梅」を出すことにする。
 値段を先方に任せたら、びっくりするような高値をつけてくれたので、かえってこちらがお土産を貰ったような気分になった。


2002/12/17(火)
 午前中は慈恵病院。検査の結果は思わしくなく、年明け早々の入院が決定する。もうなかば覚悟していたので、それほどのショックはない。
 最低10日はかかるというので、早めにやっておかなければならないことが増えて、なんとなく気忙しくなる。
 留守中に横浜のHさんが店に寄ったそうだ。埼玉のIさんが飾ってくれた青花にすっかり魅了されたらしい。増えたら真っ先に譲ってくれるよう交渉してくれと頼まれる。
 それと「青山(せいざん)」も。青サラサの三角咲きで、よれがまったくない。立ち葉で花が葉の中で咲いてしまうのが欠点だが、花が目立つように工夫してやれば絵になる。
 横山プロカメラマンのマネジャー兼秘書をやっている水上女史が選んだだけあって、にくいほど色もいい。

2002/12/15(日)
 皮肉なもので、杭州寒蘭展の最終日になって、ようやく見ごたえがでてきた。今年は変な年だ。
 そんなわけで来週から、仕事納めの29日まで展示は続けることにする。
 埼玉のIさんが澄んだ青花、学研のSさんが青サラサの自慢の覆輪花を持ってきて飾ってくれる。
 杭州寒蘭のよさは、なんといってもグリーンのよさと舌のしろさ。その意味では、いまになっていい花があつまってきた。
 15、16日はボロ市の日。白石さんは午前中にHさんとネタ探し。見て回るのは当然のことながら東洋蘭売り場。
 Hさんは中国蘭の値があがったのと、日本春蘭が安くなっているのにびっくりしていた。


2002/12/13(金)
 Yおばあちゃんが何ヶ月ぶりかに顔を見せる。隠居して暖かい千葉の別宅で暮らしていたのが、年末でもどってきたのだという。
 鉢植えの蘭の管理は、息子のお嫁さんに任せていたが、幸い2鉢ほど花をあげているので、部屋を飾ることが出来るとよろこんでいた。
 お土産のあわびの味噌漬けをお客様といっしょにごちそうになる。毎度のことだが、実にうまい。
 中国のLiuさんがきて、「九章梅」と「冠春」をもっていく。前にももっていっているから、多分いい交換品になるのだろう。
 彼の話では、中国でも寒蘭への関心が少しずつ高まってきて、値段も上がり気味だという。
 来年帰国したら、まだ安い湖南省や江西省の山採り株を手に入れて、作ってみたいと話していた。
 千葉のTさんが杭州寒蘭の中から掘り出した、とも軸のピンク花が咲いた。いまのところ舌は白いが、捧心に覆輪はない。
 杭州かどうかはいま少し時間が経ってみなければわからないが、杭州でなくても素晴らしい花だ。
 白石さんがきょうのショット!で早速とりあげていた。ピンクの色合いは実物そっくりだ。


2002/12/11(水)
 千葉のMさんが開店早々やってくる。来るときはいつも奥さんと一緒だ。先週来て「岳陽」の古木を買っていったのだが、植え込んでいるうちに、咲くまで(多分三年)がまんできなくなったと、昨日電話が入っていた。
 年をとると、私などもせっかちになってくるが、まさか昨日の今日来るとは思っていなかった。
 「岳陽」を前3本花付きに取り替えただけでなく、ついでに「峨眉山」の最上木も2条買っていった。
 どちらも高価なものだけに、思わず奥さんの顔を覗いてしまう。同伴で堂々と高い買い物をするのは、Mさんぐらいのものだ。
 なんだかちょっと妬ましい気分になった。


2002/12/9(月)
 目を覚ましたら10センチも雪が積もっていてびっくり。12月の大雪なんてとんと記憶にない。
 しかも昼間も降り続いて夕方近くまで降っていた。。ことしは夏が極端に暑く、雪の訪れがまた例年になく早く、これからの真冬はどんなことになるのだろうか。
 いい機会なので、フウラン、ナゴランの冬篭りをはじめる。いつもなら年末ぎりぎりまでほ放っておくのだが、ここは早めの方がよさそうだ。
 茅ヶ崎のSさんが午後、東京への用事のついでに寄ってくれる。糖尿のことにここで触れたら、アルカリイオン水の素というのをもってきてくれた。
 糖尿の友人が飲んで効果があったというので、だめもとで飲んでみたらというわけだ。
 無性にうれしかった。水がおいしくなるらしいから、糖尿に効かなくったって、毎日どんどん飲むことにしよう。


2002/12/7(土)
 日本中国蘭協会の寒蘭展を見に行く。地下鉄後楽園駅につながっている文京シビックホールの会場は、こじんまりしていたけれど、見易さの点では手ごろだった。
 出品数からみれば、いささかさびしかったが、今年の開花状況からすれば、よく集めたといえるだろう。
 青花でトップ賞をとったのは、Hさんがだした「翠鶴」だった。欅窯の三橋さんが、むかし選別していた花だ。ひと味違う色合いが注目されたのだろう。
 まだ株ができていなかったり、花が早すぎたり、出品した人たちは、歯がゆい思いをしているに違いないが、いいコンディションでもう一度見てみたい花はかなりあった。
 2、3年もすれば、質の高い展示会ができるような気がする。
店に戻ったら、ルーペのSさんがまた、どっきりするような、咲き始めのサラサ花を飾ってくれていた。
 さて、10日たってどんな評価を受けるか。


2002/12/5(木)
 展示期間の中だるみなのだろうか、気温も高めだというのに、店のほうは閑散としている。
 電話で展示会はいつまでかの問い合わせがあっただけ。白石さんも久しぶりに早々と帰宅する。
 夕方、Yさんが出先から、これから行くと電話してくる。予約していた杭州寒蘭が、いい花だと連絡していたので、早く見たかったのだろう。が、またすぐかかってきて、胸が苦しくなったから、まっすぐ家に帰るという。
 心筋梗塞をやって、退院して間もないだけにちょっと心配だ。だいじにならなければいいが・・


2002/12/3(火)
 外科の方で、午前中は病院にでかけたが、このところ医療費の負担がぐんと重くなった。福祉の後退はやはり政治がだめだからだろう。
 午後は東洋蘭の植え土作りと水遣り。鹿沼土で少し上質のものが入ったので、化粧用の土を多くこしらえる。
 気に入った用土ができると、作のほうもよくなるような気になる。
 不意の来客があって、水遣りは途中で中止。。結局翌日回しになってしまう。


2002/12/1(日)
 いよいよ師走入り、なんとなく気忙しい気持ちになってくる。杭州寒蘭展もようやく本番に突入だ。
 店を開けて間もなく埼玉のIさんがくる。昨年K園芸店から手に入れた紅花を見てくれと持参する。
 最近の花に多い鳶赤ではなく、「紫芳山」の色に近くて、透明感のある紅花だ。恐らくだいぶ前に中国から入れたものだろう。
 まだ名前をつけていないとのことだったが、さっそくHPに載せさせてもらう。
 Iさんはことしヤッコで新芽がきた「孤峰」もみせてくれる。花はさすがに休んでいたが、惚れ惚れする木になっていて、来年は十分株分けできる状態。
 たまたま居合わせた造園業のIiさんは「この木ならぜひほしい」と、私の尻をたたいて予約をいれていた。
 下町のHさんもくる。9年物の杭州初花株が中国寒蘭に化けてしまったので(今年四つ目の黒星だ)返品がてら、2鉢展示品をもってきてくれる。
 「微笑」というサラサ花は、完璧といっていい円弁の抱え咲き。捧心もピタリと合わさってびくともしない。花が開いて決まるのに10日ほどかかるそうだ。
 開くのに時間がかかる花ほど、形が乱れにくく、いい花が多いような気がする。この花も早速HPにのることになる。
 千葉のTさんが7日からの、日本中国蘭協会の展示会に出品して欲しいと説得して、OKを取っていた。

 「三楽」をあらため「聞韶(ぶんしょう)」という前面無点花を飾ってくれたMさんが、こんどはどの花も紅一点という青花を展示してくれる。
 なかなか固定しにくいものだが、Mさんはとにかく、どきどきするものをもってくる。


2002/11/29(金)
 花の金曜日だし、天気もいいし、なんとなく期待していたら、肩透かしを食らった一日だった。うまくいかないものだ。
 今朝は珍しく寝坊してしまう。目覚ましが鳴る少し前に、トイレに起きたのがいけなかった。目覚ましを止めて、あと10分と横になったのが敗因だ。
 年寄りは朝が早いというが、寝かせておけば何時までも寝ている。その点ではまだ若いのかもしれない。
 午後になって、最近東洋蘭に興味を持ち始めた、えびねマニアのWさんがくる。
 杭州寒蘭の花未確認株を期待してきたようだが、全部売り切れなので、ちょっと残念そうだった。
 お土産に韓国春蘭のカレンダーをもらう。綺麗な花や柄物がのっているので、店に飾らせてもらうことにする。


2002/11/27(水)
 「上天竺山」「岳陽」「露華」などが咲き始めてくる。まるで合図があったように、午後から上尾からの客、高校の先輩のTさん、横浜のHさん、目黒のFさん、プロのEさん親子がきて、大入り満員になる。
 咲き始めたというメールも各地から入り始めて、杭州へのボルテージは急速に高まってきたようだ。
 Eさん親子はことし、何を物色するかに余念がなく、息子さんの方は「上天竺山」に惹かれているようだった。
 蕾の色が少し変わりだした「桃酔」も、皆の注目の的になっていた。
 先輩は「峨眉山」など3点飾ってくれる。ことしは樹の割りに花数が少ないとこぼしていたが、杭州の場合は、あまりたくさんつけるよりは、3から5花ぐらいのほうがいいように思う。
 上尾の客はグリーンの命名品がほしいということで、あれこれ思案の挙句、「翠鈴」にきめる。
 嬉しかったのは八起窯の焼締鉢を使ってくれたこと。花がついている株は、出来ればプラ鉢でなく、それなりの鉢に入れてやりたい。


2002/11/25(月)
 折角の休日もこのところつぶれっぱなしで、ゆっくり休む暇がない。昼は目白の椿山荘で、大学時代の友人の快気祝い。
 料理もまあまあだったが、庭の滝のそばの、もみじの紅葉が素晴らしかった。丁度うまい具合に薄日が差してくれて燃えるようだった。
 そのあとは千代田区岩本町で弁護士とあって、ちょっとしたトラブルの相談。ここでもまた会食して戻ったのは8時すぎになる。
 一部水遣りの日だったが、もちろん翌日まわしになる。


2002/11/23(土)
 午後4時過ぎ、ルーペのSさんがまた可愛い花をもってくる。12年に入れて初花のきたのを、この前選んでいったのだが、小輪平肩咲きのサラサ。捧心が5日経ってもピタッと閉じたままだという。
 こうなると「明太湖」と遊んだ名をつけた青花といい、たまたま当っただけと片付けるわけにいかない。
 このところ杭州違いの花がいくつか咲いて、山口のKさんにぺナルティの代替品を送ろうとしていた時だけに、こちらは落ち込んでしまった。
 千葉のTさん、学研のSさんが上野の寒蘭展の帰りに寄る。Tさんは杭州違いで返品になっていた中国寒蘭をまた買っていく。
 いい花なら杭州でなくてもいいという。それが本当だろう。いま展示してくれている青花は、杭州に勝るとも劣らない花だ。ただ同然で手に入れたので、欲しい人がいたら一部分けてもいいそうだ。独占しようとしないところがまたいい。
 閉店間際に来たひげのKさん夫妻が「買える値段で出してくれるならほしい」と、さっそく名乗りをあげていた。


2002/11/21(木)
 杭州寒蘭展の2日目だが、お客様の方が良く知っていて、店は静かなものだ。
そこで思いついたのが神宮絵画館前のイチョウ並木の写真。「今週の話題」用に撮ることにする。
 カメラの腕も上っているし、天気もまずまずなので、白石さんに見物がてら行ってもらう。
 まだ少し早かったようだが、ずいぶん色づいてきた。連休明けが最高の見ごろとなるだろう。
 夕方、初めての若いお客が、杭州寒蘭をやりたいといって来る。立葉が好きだというので、来年花がきそうな株を真剣に選んでやる。


2002/11/19(火)
 血糖値が175にあがっていた。別段不摂生したつもりはないのに、ちょっとショックだった。全体に機能がおとろえてきているのか。
 先生からはインシュリン注射をそろそろ決断するとき、といわれており、やむをえないかもしれない。
 年明けから入院は好ましくないが、年内は最大イベントの杭州寒蘭展があるので無理だ。
 午前中はそんなことでつぶれ、午後は午後で園芸には関係ない来客があって、予定していた水遣りも一日延ばすことに。
 ただ杭州寒蘭展があしたからなので、なんとか格好をつけるのに苦労する。
 日本寒蘭展のようにまったく咲いていないということはないが、やはり遅れ気味。当分はまだ日本寒蘭が同居だ。
 しかし蕾が横を向いてきたのもかなりあるので、杭州寒蘭はこの時期も見ておきたいものだ。


2002/11/17(日)
 白石さんが都合で休み。したがってきょうのショット!もお休みだ。昨夜、学校の先生のMさんが青サラサの前面無点花をもってきた。一目みただけできょうのショット!向きと思ったが仕方ない。
 舌が異常なまでに白く、やや抱えた花形も抜群なら、行儀のいい捧心の覆輪が、また実に品のよさをただよわせている。
 花茎も細く花間もあって、20日からの展示会で評判になるのは必至だろう。欲を言えばいま少し舌幅がほしいところか。
 持ってきたときはまだ名前はなく「白石さんのなまえものがたりに協力しないと・・」とにやにやしていたが、夕方きて「三楽」と命名した。
 下町のHさんが連れとみえる。予約していた「老門山」と「逸品」をもっていく。千葉のTさんも連日の来店で、素心の「雪望」など3鉢飾りにもってきてくれる。
 相模原のSさんがひょっこり現れる。8年前に西の方に転勤してからは、一、二年に一度来るかこないかだった。話では体を壊して会社を辞めて、こちらにもどったそうだ。
 病気中にえびねなどあらかた痛めてしまったらしい。あまり多くは話さなかったが、お客様と話したりして、長いことのんびり遊んでいってくれた。


2002/11/15(金)
 中国からの輸入物は当りはずれが大きくて、今年の杭州寒蘭は大当たりだったが、昨年のものは一年作っているうちに半分以上が枯れた。
 花をあげたのはたったの3株で、しかもそのうちの1株はただの中国寒蘭だった。
 すっかりあきらめていたら、きょう1株花芽をあげているのを偶然みつけた。
 この株を入れて花芽付きの杭州初花株はたった4本。ことしのはもう全部売れてしまったので、20日からの杭州寒蘭展では、また品不足に悩むことだろう。

 白石さんがきょうのショット用に、斑入りオキナワチドリを取り上げていた。それに刺激されて株わけを思い立ち、親株のほかに1本立ちから4本立ちを全部で6鉢つくる。

2002/11/13(水)
 夕方プロカメラマンの横山さんが久しぶりにやってくる。ストラディバリの写真集ができたといって見せてくれた。
 15年前に出た蘭の写真集「東洋蘭の美」をみたときも、あまりの美しさに息をのんだが、今度はそれをさらに数倍も上回っていた。
 実物を目の前でみている、といっても言いすぎでないすごい迫力だ。横山さんの顔にもいい仕事をした満足感があった。
 昨年は杭州寒蘭の写真を一枚も撮ってもらわなかったが、ことしはいまのところよさそうな「孤峰」「奔月」「桃酔」「草楽」は、絶対にとってもらおう。
 千葉のTさんの注文で、杭州の「大黒峰」などの先芽止まりを外す。根が悪ければできない相談だったが、幸いいい根でほっとする。


2002/11/11(月)
 やきもきさせられた日本の寒蘭展も、昨日で終って、ともあれほっとする。実際にはこれからが盛りになるが、きょうの休みぐらいはのんびりしたい。
 そんな気分だから、ただなんとなく一日を過ごしておしまい。たまにはこんな日があっていいだろう。

2002/11/9(土)
 風が強い。こんな時は生水苔が水切れを起こしやすい。この時期一度でも水切れさせるとダメなので、たっぷり水をかけてやる。
 調布のKさんがくる。杭州寒蘭のファンで、HPの写真集をカラーコピーしてきて、売り物を調べていく。
 「孤峰」と「黄玉山」が候補になっているようだったが、居合わせたHさんが「私が真っ先に買ったのが黄玉山」と薦めたので、その気になっていたようだ。
 日本の寒蘭展もいよいよ明日までとなって、ようやく動いてきたようだ。花もだいぶ咲いてきた。
 自分の店でやっているのだから、片付けなければならないことはないので、実際はこれからが本番といったところ。
 この日は「桃里」と無名白金鵄がお嫁にいった。


2002/11/7(木)
 天気予報では小春日和といっていたそうだが、とんでもない寒い一日だった。
 暦の方が正確で、きょうは立冬だ。このところ各地の初雪便りも軒並み早いようで、この冬は厳しい寒さになるかもしれない。
 千葉のTさんが中国寒蘭の佳品をひきとりにくる。横浜のHさんも貸してあげたCDを返しがてら遊びに来る。
 二人とも日本の寒蘭がようやく2、3鉢咲き出したところだという。今年は全体に開花が遅れているようだ。
 杭州寒蘭も早く花芽をあげたのは、展示会の20日までに咲いてくるだろうが、少し遅いのは動きが鈍く、大幅に遅れそうな気配だ。


2002/11/5(火)
 何事もゆとりが大事と、月、火と週休2日にしているのだが、このところ園芸以外の雑用が増えて、朝から出ずっぱり。
 夕方戻ってきたらカウンターの上に1,000円おいてあった。メモに浅草から来たお客が、どうしても生水苔を分けてくれというので四分の一売った、とあった。
 中学の友達が柿をもぎに来て、たまたま店にいるときに来たらしい。ことしは柿が鈴なりで、少し小粒だが甘くてうまい。
 寒蘭もだいぶ咲いてきたし、鑑賞がてら、大勢食べに来て欲しいものだ。


2002/11/3(日)
 マニアが示しあわせたように一堂に会した一日となった。開店早々に、瑞穂町のSさんが2時間半かけてやってくる。
 7時半に家をでたそうで、30分遅れると渋滞に巻き込まれて、倍はかかってしまうのだそうだ。
 自宅の花の咲き具合で、そろそろいいかと思ってやってきたという。お客の方が動きに無駄がない。
 仕事が忙しくてうっかりしてたら「老門山」を枯らしてしまったそうだ。結局買っていったのは、手ごろな花付きの「老門山」と、ことし入荷のサラサ花の杭州寒蘭。
 Sさんと交代するように現れたのは下町のHさん。紅花大輪の「大文字」を持ってきて棚を賑わしてくれる。
 亡くなった白土さん(屋久島植物)の遺品という杭州寒蘭の素心と紅花も、まだ硬い蕾だけれど、飾ってくれる。素心は色が濃くて花形もよさそうだ。
 そうこうするうちに庭師のIさん、学研のSさん、Hさん、ルーペのSさん、音楽家のAさんがやってきて、夕方までわいわいがやがや。
 他にも二組のご夫婦や小田原の客など何人かが見えて賑やかな一日だった。
 嬉しかったのは「苓州冠」など日本の寒蘭が売れたこと。杭州寒蘭ばかりが出るのでは淋しすぎる。


2002/11/1(金)
 ことしは寒蘭の植え替えをせっせとしたが、まだ少々残っている。天気がパッとしないので、作業日和と思って朝から何鉢か植え替える。
 造園業のIさんが来て、杭州寒蘭の初花株を2鉢もっていく。嬉しいことに、むかし買ったサラサの「天童山」が増えたそうで、バックしてもらえることになる。
 こちらはちょっと作落ちさせて、花が休んでいるので大いに助かる。ほかに花付きでバックできるものはないかと打診したが、両手に花というわけにはいかなかった。

2002/10/30(水)
 夕方、前橋のKさんから電話が入る。この秋一番の冷え込みで、快晴だが、谷川岳の方は霞んで見えないから、多分雪だろうという。風も強く、木枯らし一号は間違いない、いよいよ冬の始まりだといってくる。
 東京も木枯らし一号を思わせる風で、朝方の気温は10度を大きく下回る冷え込みになったそうだ。
 しかし、寒蘭の花の方は、お構いなしにどんどん開いてくる。冷え込みにも、もうどうにも止まらないといった感じだ。
 これでお客様が見に来てくれれば言うことなしなのだが、風に恐れをなしたか、何時になく静かな一日で終ってしまった。
 杭州寒蘭の一番花が咲き出した。ルーペのSさんが飾ってくれたものだが、さっそく白石さんが「きょうのショット!」でとりあげる。たまたま前の日が日本寒蘭の青花だったので、違いが一目瞭然でわかることになった。

2002/10/28(月)
 いい天気が2日続いたので、えびねも東洋蘭もたっぷり水をやる。展示中の寒蘭は、寒い雨の日は昼間ヒーターを入れたりしたものだから、蕾が横をむき出したのが目立ってくる。
 現在、咲き出したのが10鉢、今週中に咲きそうなのが11鉢。咲き出す直前に水をやると、花形がしっかりするといわれているので、今日の水遣りはいいタイミングだ。
 「今週の話題」で、愛培家を愛倍家でのせてしまった。手書きならこんな間違いはまずないのだが、PCだとうっかり見過ごしてしまうことが多い。間違いは2、3時間のことだが、汗顔の至りだ。


2002/10/26(土)
 一日おきの周期で天気が変わり本日は雨。おまけに気温も20度を大きく割って、朝からヒーターを入れる。
 土曜日でもこんな日はお茶をひくだろうと思っていたら、下町のHさんが応援の寒蘭を3鉢もって来てくれたのを皮切りに、千葉のTさん、森永のKさん、えびねのHさん、Fさんが現れ、さらにNさんも来て咲いた寒蘭を3鉢飾ってくれる。
 お陰で寒々としていた棚も賑やかになって、どうやら寒蘭展のかっこうがつく。お客様はありがたい。
 Nさんは増えた花付きの「豊雪」を2鉢、欲しい人に安く譲ってやってくれともってきてもくれた。
 Fさんは目下マッサージの修行中。早速お客様を練習台に肩をもみだし、これを見た通行人がいくらでもんでくれるのかと、問い合わせるハプニングまであった。
 学研のSさんが、杭州寒蘭の産地でもある福建省・武夷山系の資料がHPに乗っていると、わざわざコピーしてもってきてくれる。
 残念なことに中国語が読めないので、お客様で丸紅で中国と取引していたY さんに、図々しく翻訳をお願いする。
 Yさんは早速来てくれて引き受けてくれた。お客様はほんとにありがたい。


2002/10/24(木)
 変わりやすいお天気で、今日は一日中お日様を拝めない。こんな日は気分も乗らないが、午前と午後の4時過ぎから、園芸以外のことでいろいろ仕事があり、店の方は白石さんにまかせっきり。
 わずかばかりあいた時間は、「今週の話題」を書き上げるのと、ウチョウランの水遣りで終わる。お客様の方も動きは鈍く、電話が2、3本はいっただけだった。
 PCを置いてあるところがなぜか一番冷える。白石さんも寒そうにしているので、早々とヒーターを入れてしまう。いまからこんなことでは、本格的な寒さがきたらどうなることだろうか。

2002/10/22(火)
 いい天気になり、気温も上って、寒蘭の蕾もだいぶふくらんできた。舌が巻かないという大和系の「白妙」が咲き出した。くっきりした舟底舌で、なるほど巻きそうにない。
 「大雄」は写真でしか見ていないが、花間がつまり気味な気がして、どうしても欲しいという気がしない。それに舌はどちらかといえば、すっきり巻いたほうが好きだ。
 休みの日だけれど、ルーペのSさんが近くまで来たのでと寄ってくれる。いろいろ雑用をこなしていて、ゆっくりお相手できなかったのが気になるが、こと杭州寒蘭になると感心するほど熱心だ。


2002/10/20(日)
 白石さんがきょうのショットで、一番最初に花を咲かせた中国寒蘭を紹介したら、早速千葉のTさんがパックリくいついてくる。
 舌点に特徴がある紅サラサで、雰囲気のある花なので、分けられるものなら分けて欲しいとメールをいれてきた。反応の速さに白石さんは半ばあきれながらも嬉しそうだった。
 公明党のS都議がくる。寒蘭が好きで私の店の長年の常連。時間ができたので植え替えをするのだといって、鉢や用土を仕込んでいく。
 日本寒蘭はことしも順調に花がきているが、杭州寒蘭が新芽ばかりで花がつかないと嘆く。聞いてみると少し暗すぎるようなので、春蘭並みの明るさで作ってみたらとアドバイスする。
 感ずるところがあったのか、再挑戦を目指して、ことし入った花付き株も買っていった。
 他に下町のHさん、ルーペのSさんらも見えて、退屈する暇はなかった。


2002/10/18(金)
 宮崎から赤ボラがとどく。妙なもので東洋蘭もえびねも、この用土でないとうまく出来ないと思い込んでいる。
 運賃ほかを考えると、大変高価な植え土だが、一度使ってみるとこちらでも、意外とこだわる人が多い。
 小田原のIさんがみえる。いつも早く寒蘭を咲かせているので、もう咲いているものとばかり思ってきたという。
 申し訳なくて、免罪のつもりでコーヒーを出したりいろいろ気を使う。「10日ほどして咲いた頃また見にきましょう」といってくれたのでほっとする。
 定年後の第二の人生にマッサージを選んで修行中のFさんがくる。客も少なかったので、いい練習台だとたっぷりもんでくださる。
 丁度ボラ運びをしたあとでもあり、体がぱんぱんに張っていたので大助かり。白石さんまでもんでもらって喜んでいた。


2002/10/16(水)
 展示会の初日なので、横浜のHさんが手土産もってきてくれる。「久しぶりなので手ぶらでは来にくくて・・」と笑いながら「この時期にどうやって咲かせたのか見届けたくてね」とニタニタ。
 皮肉たっぷりに言われて返事のしようがなかった。開花株ゼロの展示会なんて開店以来はじめてだ。
 お客様の方がまだ早過ぎるとわかっているのか、朝方、鷺沼のMさんが見えただけで、静かな幕開けだった。


2002/10/14(月)
 中学時代の友人と店内の大掃除をする。16日からの寒蘭展に備えて、少しはさっぱりとお客様を迎えたい。
 午前中かけてどうやら格好はつけたのだけれど、肝心の寒蘭で咲き出したのが一株もない。
 昨年は24日からだったのに、どうして16日にしたのか、皆目見当がつかない。
 おまけに夏が異常に暑くて長かったので、開花は遅れても早く咲くことはない。
 いま蕾が横を向いているのはたったの一鉢。殆どはまだ上を向いて団子の状態だ。
 お客様になんとお詫びしたらいいのか。正直なところ10日早かった。展示会場を借りていたら、咲かずの展示会で大変なことになったろう。 考えただけでもぞっとする。

2002/10/12(土)
 三連休のはじまり。目の前の国道246号線は朝から渋滞がとぎれない。天気もよく、うってつけの行楽日和だ。
 店の方がにぎやかになったのは午後もだいぶ遅くなってから。学研のSさんが産地の違う杭州寒蘭をどこかから求めてくる。
 花上がりが良く、葉姿もちょっと変わっていて、紫秀蘭と交雑したものというふれこみだったそうだ。
 根は普段の杭州寒蘭よりも太いそうで、値段も高かったけれど飛び込んでしまった、と苦笑いしていた。
 中国は広いので、杭州の人気が高まると共に、これからもいろいろ珍しいものが入ってくることだろう。
 久しぶりに顔をみせた茅ヶ崎のSさんは、ことしはピンクの杭州寒蘭(まだ無名)を狙うという。毎年トップクラスのものを集めている常連さんで、作場を変えてから作も上手になっている。
 先生のMさんも、きょうは目一杯仕事をしたのでと寄ってくれる。チェンジ・オブ・ペースの店として、気楽に寄っていただけるのはありがたいことだ。
 白石さんの寒蘭展の看板できあがる。困ったことに肝心の花が16日の初日には開きそうもない。一週間は遅れるか。


2002/10/10(木)
 さわやかな秋晴れとなって気持ちがいい。こんな日は商売の方はさっぱりのことが多い。
 HPを見て注文してきたお買い得品や杭州寒蘭を2箇所に発送したあとは、蘭の手入れに専念できる。
 白石さんは100パーセントおまかせの「きょうのショット」を早々と差し替えて、16日から始まる寒蘭展の看板つくり。
 背景に使ったのは青花の「草楽」。トップクラスの花に、カメラマンの横山さんも気合が入っていて、迫力がある写真になっている。
 ことしははじめて先芽どまり1条がはずせそうだ。花芽はただいま5pといったところ。


2002/10/8(火)
 杭州寒蘭の黄花といえば「黄鶴楼」ぐらいしかないが、作落ちさせてしまってしばらく花は期待できない。もうひとつ黄花候補として、小学校の校長までやったHさんから戴いた木も今年は元気がない。
 花は一度だけしかみてないが、花形がいいので、色が出れば「黄鶴楼」の上をいく可能性がある。
 さっそく鉢を空けてみたら、前の4本だけ元気で、あとの10本ほどの根は全部だめ。原因はどうなのかよくわからないが、ときどきこんなことがある。 いずれにせよ、黄花は2年ほどお預けだ。
 中学の友が昨日亡くなった。この1年ほど変な細菌に内臓を侵されて入院生活だったが、よくなって退院したと聞いて喜んでいたところだった。
 死因は脳梗塞。予期せぬ伏兵だった。入院する前は若い頃から頑丈な男だった。狭心症で一過性の脳梗塞を早々とやっているこちとらより、先に逝ってしまうなんて思いもしなかった。合掌。


2002/10/6(日)
 学研のSさんとルーペのSさんが鉢合わせする。ルーペのSさんはこのところ皆勤だ。最近は花間のいい株の見分け方を研究したいと、一株々々ルーペでのぞきこんでいた。
 学研のSさんは杭州?の株の中から、杭州間違いなしとおぼしきものを探し出すのに懸命。値段が四分の一になるので、宝探しの楽しさがあるのだろう。
 それらしきものを2株ほど探し出して「たとえ外れてもこの値段なら気にならない」と、ご機嫌で引き上げていった。

2002/10/4(金)
 16日から始まる寒蘭展のDMできあがる。カットに使った「黄玉山」がいい感じであがっていて、白石さんに名前をいれてもらう。
 植え替えがてら寒蘭の花上がりの具合を見る。早咲きの「憲陽」がやはり一番早く、もう蕾が分かれているが、あと10日で咲くかどうか。
 いまの感じでは、少し会期を遅らせた方がよかったかもしれない。
 せっせと植え替えをやったら、夕方どっと疲れが出る。議員秘書のSさんも、疲れたと骨休めにきて一時間ほど遊んでいく。
 きょうも杭州をはじめてやるというお客がきて2鉢買っていく。ルーペのSさんがきていて、色々アドバイスしてくれたので助かった。

2002/10/2(水)
 心配した台風の被害はまったくといっていいほどなかった。プラ鉢植えの蘭が二つ倒れただけ。これでは台風の直撃を受けたといっても、誰も信じないだろう。
 が、ともあれ目出度し目出度し。台風一過の強烈な青空がまぶしい。気温も上って汗ばむほどだ。
 きょうも遠くから杭州寒蘭の問い合わせと注文がはいる。杭州に関心を持つ人が増えている手ごたえを着実に感じる。
 二階で商売とは関係ない雑用をこなしている間に、5株ほど売れていた。初めて杭州寒蘭を手がけるという人もきて、覆輪が深そうな株をもっていった。白石さんが薦めたのか、こんな人が意外と大当たりすることが多い。


2002/9/30(月)
 鉢の展示会も終って、中学の悪童と箱根の保養所に一泊旅行。とりとめのないはなしをし、温泉に漬かってのんびりするのが、一番の骨休めになる。
 曇りがちのお天気で、水遣りの心配もないので、心置きなく遊びに出掛けられる。


2002/9/28(土)
 まとまった雨は久しぶりのような気がする。その雨の中で5・5号と笠間鉢の蘭にたっぷり水をやる。雨の日は翌日に回す人が多いが、私はかまわずやることにしている。
 水遣りの後は、根を痛めて生ミズゴケ植えにしていた杭州寒蘭をまた石植えにする。「南宋」も「天竺山系」もいい新根を何本かだしていた。
 午後からは雨もあがってきたので、ボツボツお客様が見える。学研のSさんは中国の蘭商のつくっているHPをまた教えてくれる。
 ついでに中国寒蘭で安く売っている根巻きの中から、杭州寒蘭をみつけだして2株かかえていく。うまい買い物だ。
 教員をしているMさんが久しぶりに顔をみせる。暑くなる前からご無沙汰で、杭州寒蘭の生きのいいのが入ったというのに現れないので心配していたところだった。
 案じたとおり病気をしていたらしい。先生の仕事が大変なのは、日ごろの話からよくわかるが、無理をしないで蘭でもいじって、長生きを心がけて欲しいものだ。
 てなことをいいながら、中国寒蘭に入れているが、まず杭州寒蘭と思える株を2株、ちゃっかり売りつけてしまった。


2002/9/26(木)
 輸入した杭州寒蘭の植え込みなどは、昨日で一段落ついて、きょうからは昨年以前に入れて今年初めて花芽のついた株の植え込みにはいる。
 3株を一鉢に寄せて作っているので、一度ばらして植え替えなければいけないが、根の状態など仔細に見ることが出来るので都合がいい。
 蕾の先が白く抜けていると期待も大きく、つい売らずにとっておきたい気持ちになるが、過去これで成功したためしはほとんどない。最近は残り物に福があると割り切って売っている。
 何年もかかってやっと初花がきた株も、迷わず売りに出しているが、いい花の出る確率は古いものほど高いような気がする。
 きょうから注文の杭州寒蘭の発送がはじまる。出来るだけ変化をつけて、花芽もしっかりしているのを選ぶとなるとけっこう手間がかかる。

2002/9/24(火)
 ちょっと寝坊したら予定が押せ押せになって、一日中追われどおしになる。午前中の病院が滑り込み、おまけに別の科にも診てもらうことになって、千葉のTさんとの午後2時の約束に遅れる。
 幸い待ってくれていて事なきをえたが、今度は午後5時の約束のお客様が来ない。5時半にはこちらがどうしても出掛けなければならないし、あちらはあちらできょう杭州寒蘭がどうしても必要。仕方なく相手の携帯にрオて、隣のガソリンスタンドに預けておくからと連絡して店を出てしまう。
 7時過ぎ帰ったら杭州寒蘭のメールが何本か入っている。すぐに返信のメールをうち、続いて朝昼晩。終ったら8時前で、とても休日なんてものではなかった。


2002/9/22(日)
 店に出る前に自宅でひと仕事。名古屋のお客様から頼まれていた杭州寒蘭の初花株を2株選び出す。13年に入れた一作もので、新根がよく出ていたのでほっとする。
 午前中はことしの杭州花芽付きを求めるお客様で忙しかったが、午後はかなり根を詰めて植え込みが出来る。
 白石さんはいるが、蘭のことは人任せにはしない主義なので、品物が入ったときは一人でてんてこ舞いする。
 昔と違ってすぐ肩がこるのは、やはり年のせいか。きのうFさんに揉んで貰ったのに、またやってもらいたい感じだ。
 夕方ルーペのSさんが昨日に続いてみえる。中国寒蘭に入れていた中から、ルーペで選び出して1株買っていく。Sさんが選ぶと100パーセント杭州寒蘭にみえてくるから不思議だ。


2002/9/20(金)
 中国に頼んでいた杭州寒蘭が昨日の昼前につく。病院の定期検査に出掛ける直前だったので、とりあえず消毒液に漬けて出掛けてしまう。
 帰ってからも雑用があって、じっくり株の状態を見ることが出来たのは今日になってから。
 杭州寒蘭かどうか?マークをつけなければいけない株も、かなりまじっていたが、殆どの株が花芽付きだったのは大収穫。
 デフレでなんでも安くなっているというのに、仕入れ価格は1割アップ。いつもなら大いに噛み付いて値切るところだが、花芽がしっかりしていること、根もがれていないこと、要するにいい株だったので言い値でOKにする。

2002/9/18(水)
 日本えびね業者組合の総会で、火曜日早朝から福岡に出掛けて、一日休まざるをえなかった。
 例年二日市の大丸別荘で、休養がてらやるのだが、昭和天皇もお泊りになっただけあって、建物も庭もすばらしい。温泉もくせがなくて、いい命の洗濯になった。
 この業界もデフレの影響で、景気のいい話はでてこないが、ここががんばりどころと、来年も上野のえびね展は盛大にやることがきまる。
 交換会で舌が巻かない「白妙」だという花芽付きの株を手に入れる。「大雄」ならとても手に入らないだろうが、「大雄」もどきがどんな花になるのか楽しみだ。


2002/9/15(日)
 慈光窯の蘭鉢が買い占められる。Hiさんが古鉢展に協力してくれて出してくれたのだが、下町のHさんが来る早々「全部いただきます」ときた。
 肉厚の鉢が多く、蘭にはどうかと思って、私は使ったことがなかったが、不思議とよく出来るそうだ。
 蘭をこよなく愛した稲生伴治さん(故人)が、既成の鉢に飽き足らず、自ら作りはじめてプロになっただけに、蘭がよく出来る鉢になっているのだろう。
 ルーペのSさんが「私も協力させてください」と1鉢もってくる。インターネットのオークションで買った染付けの大鉢。古いもののようだが、大きすぎて植えられるものがないという。
 座りがいいので、株立ちのものならなんでも、飾り栄えしそうだ。取得価格よりだいぶ安くだしていますと笑っていた。。

2002/9/13(金)
 浜ちゃんデーだった。どういう心境の変化か、前日、寒蘭鉢を大量にがらくた市に持ちこんできた。高知の出身だけに、6・5号鉢以上の大きな楽鉢が多かったが、これがただ同然のお値段。
 東京では寒蘭の大鉢作りは、最近流行っていないが、九華を植えるのに丁度いいということで、人気を集めていた。
 Oさんに頼まれていたコオズの「浦島」を株分けする。やや暗いところに置いてあったので、花芽の具合が心配だったが、まずまずの芽が出来ていてほっとする。
 ことしは天気が続いたので、やや暗めのところの方が葉もきれいにできて、成績がいいようだ。


2002/9/11(水)
 日中少し蒸し暑くなったが、もう盛りの頃のような勢いはない。ルーペのSさんが、杭州寒蘭の初花株を目当てに来店したが、月、火の休みに準備できなくて空振り。気の毒なことをしてしまった。
 12年に入れたものが、わずかに花芽をあげだしているが、植え替えが早すぎると、花がしけてしまう恐れがあるので、もうしばらくそっとしておきたい。
 82歳になるMさんが久しぶりにみえる。今年の夏は暑すぎたとこぼしていたが、とても80台には見えない若々しさ。目も耳も足もしっかりしていて、こちらまであと10年ぐらいがんばれそうな気になってくる。
 報知(新聞)時代の仲間が遊びに来る。アマミ素心蘭が珍しく4本も花芽をあげていたので、いい香を楽しめと強引にもたせる。いつも野球の切符でお世話になるので、長生き草の香を嗅いで、出来るだけ長く生きてもらおうというわけだ。


2002/9/9(月)
 このところ休みの日になると、色々雑用が多い。朝は羽田にかみさんや子供達の出迎え。パイロットをしているかみさんの弟が、目出度く定年を迎えたラスト・フライトを祝って、姉二人とその子供と孫達が大挙して往復同乗してきたから。
 パイロット一筋40年。羨ましい限りで、私も一緒に乗ってお祝いしたかったが、展示会中ではそうもいかない。
 午後は寝たきりの叔母の見舞い。子供のときから10歳年上の姉のような存在で、独身で通してきたから、面倒は私たち兄妹でみている。
 こちらも大変だが、一番きついのは本人。この時ばかりは無信心な私だが、神様仏様に手を合わせたくなる。
 ふと、いい香りがするので作場をのぞいたら、「乙女」(赤芽素心系の桃花)が咲き出していた。秋咲きの「雪月花」も10センチほど花芽をあげている。


2002/9/7(土)
 蘭鉢展が目当てのお客様が朝から賑わう。初日にぶな窯の大鉢を求めていったEさんは、息子さんから手ごろな大きさの鉢に替えてきてといわれて、めぼしいものを数点買い増していく。
 赤とんぼの舞う鼠志野の寒蘭鉢は、売れないときは自分が持っていていいと考えていたのだが、これもいただいていくといわれて、がっかりしたりよろこんだり。
 ことしはたった2鉢の出品だった三橋さんだが、さすがにお客様の評価は高く、磁器の瑠璃寒蘭鉢をIさんが前日もっていき、この日もはじめてのお客様が、前に作ってあったお買い得品を1鉢求めていった。
 Hさんは古鉢が目当て。富貴蘭、長生蘭に丁度いいと4鉢ほど押さえてしまう。15年から20年前の欅窯の小鉢。ファンならよだれがでそうなものばかりだ。
 鹿児島から生水苔がつく。これまでにない上等な水苔にすっかり気分をよくする。
 浜ちゃん、ルーペのSさんがきて、また杭州寒蘭の話に花が咲く。12年物がぽつぽつ花芽をあげてきて、だんだんボルテージがあがってきたようだ。


2002/9/5(木)
 12時前にぶな窯の、えびね鉢など第2陣が着く。鼠志野がなかなか味があると思ったら、コツがあるそうで企業秘密だといわれる。
 ぶな窯の蘭鉢は、底穴が誰よりも大きく開けてあるのが多い。板敷きのビニールのサナでは、ずり落ちてしまう恐れがあるので、サナもつけて欲しいとの声が上る。
 当然のことで、以前三橋さんにも話して作ってもらっている。このところまた付けてないことが多いが、八起窯は寒蘭鉢につけてきている。
 さっそく五百澤さんに連絡を取ったところ、「雑菌を避けるにはビニールのサナが安心だから」ということだったが、お客様の要望もよく分かるとのことだった。
 植え替えのときは、サナの高温消毒をやれば問題ないことだろう。

2002/9/3(火)
 ぶな窯の作品も第1陣がついて、朝から店内のレイアウトに追われる。クーラーは入れてあるのだが、動くと汗が流れてくる。
 しつこい残暑で、これで連続10日の夏日だそうだ。秋の虫の声はかまびすしくなっているのに、暑さだけが未練たらしくぐずぐずしている。
 日が傾く頃、一応レイアウトは終ったが、もうひとつぴりっとしない。三橋さんの新作がまだ来ていないせいか。ぶな窯も八起窯もがんばっているのだが、やむをえないのかもしれない。
 ことしの三橋さんは、あしたからの展示会に、メイン参加できない事情もあるので、こちらも落ち着かない。展示品は何点ぐらいになるのだろうか。
 古鉢のほうでは、15年から20年ほど前に作られた三橋さんの小鉢が光っている。

2002/9/1(日)
 八起窯の塚本くんが、展示会用の焼締鉢と古鉢ガラクタ市に出す品物をもってくる。
 ことしで三度目の出品になるせいか、私としては一番出来はいいようにみえる。一番乗りを目指す学研のSさんがきて、さっそく寒蘭鉢を2鉢もっていく。
 高台の切れ込みがもう少し深ければなおよかったろうといっていたが、夕方来たルーペのSさんはかなり手厳しい。
 「綺麗に出来すぎていて型作りのような気がしてしまう。手造りの味が死んでしまっている」
 言われてみれば確かにそんな面もあるが、こういう批判は、塚本君にとっては、いい糧になることだろう。


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