top   目次   朝・昼・晩   バックナンバー

                       
2002/4/29(月)
 祭日でも定休日なので、店は開けていなかったのだが、昼近くからお客の切れ目がなく、昼飯が大幅に遅れる。
 茅ヶ崎のSさん夫妻が「朱鷺」など売約にしていたものや、展示品などをひきとりにくる。
 新築した作場がえびねの作りにうまく合ったようで、たくさん花が咲き「今年は堪能できました」と、奥さんもニコニコ話していた。
 それまでのSさんは、お世辞にも巧いとはいえなかったから、つくづく作場次第だと思った。
 イワチドリが入荷した。ウチョウラン展までのつなぎに、初めて入れてみたのだが、どんな結果が出るか。いま流行の草玉つくりなど、悪くはないと思うが・・

2002/4/27(土)
 えびねのお客様は変わっている。花が終わってくると、潮が引くみたいにパッタリこなくなる。これは例年のことで、今年は昨日がその日のようだった。
 春の植え替えは、出来るだけ避けているが、鉢にぶつかってしまったものはやむをえない。暇なのをいいことにいくつか植え替える。
 オールドマニアのAさんから電話が入る。今年は展示会に見えないので、体でもこわしたのかと心配していたら、大変なことがおこっていた。
 バイラス株の大量発生で、展示会を見て回るどころのさわぎではないという。
 温暖化という異常気象のなかで、なんとか耐えていたのが、ことしプッツンしてしまったのだろう。慰める言葉もなかった。


2002/4/25(木)
 20度を割って、セーターが欲しい感じ。でも花をもたせることでは、こんな陽気が続いてくれると助かる。
 午前中、森永のKさんがくる。大富士園芸のことしの「御蔵竜鳳」が素晴らしい出来で、ほかのものがすべてかすんでしまった、といっていた。
 横浜のHさんもみえて、こちらは四国山草園やカネサ園芸のニオイを、デジカメで撮ってきていてみせてくれる。
 写真に撮るだけあって、どれも自分の目で確かめたいと思うものばかりだった。


2002/4/23(火)
 昨日は日本えびね協会東日本勢の展示会を伊東の一碧湖美術館までみにいく。生産者のEさん、白石さんが一緒だ。
 場所柄、展示品はニオイ、コオズと伊豆のジエビネが主体。残念なことにやはり花が早く、見ごろを過ぎている株が多かったのは気の毒だった。
 しかし、昨年に続いての二度目の開催の意義は大きいと思う。特にニオイ、コオズの優品がこれだけ見られるのは他にない。有坂さんはじめ関係者にエールを送りたい。
 伊豆のジエビネ素心の「緑精」は、展示品は確かにシミが出ていたが、私が有坂さんから昨年頂いた株は、終花になってもシミがでてこない。
 「天竜梅」もいいけれど、「緑精」の深い緑はぴか一だ。シミが出ずにふえたら、有坂さんにお返ししなければと思う。

2002/4/21(日)
 千葉のMさん、奥さんと一緒に開店前にやってくる。9時過ぎに店にきたら、もう駐車場で待っていた。おいしそうな筍をもってきてくれる。
 来た目的は「島の輝」の中苗のはずだったが、買っていったのは「十六夜」と「緑苑」の一作開花株。
 変だなあとおもっていたら、閉店間際に電話が入って「少し安くならんか」といってくる。
 売れると期待していて、空振りだった持ち主のHさん、これには根負けしてOK。Mさんの作戦勝ちだった。
 造園業のIさんが、「金鳥」を見事に咲かせて一日展示をしてくれる。私のはことし色が乗らず、みなに比較にならないと馬鹿にされ、さんざんな日となった。


2002/4/19(金)
 変な日で朝から電話の問い合わせが多い。土、日は何時から何時まで営業しているのかと訊いて来る。
 どれも多分はじめてのお客様なのだろう。早く来て盛りの花をみてくれればいいが、少しくたびれてきた花もあるので、気をもんでしまう。
 寒蘭の上手なKさんがきて「どうしてこんなに後ろの葉っぱがきれいに作れるのか」と感心している。
 Kさんのえびねはだんだん小さくなって消えてしまうそうだ。聞いてみたら、寒蘭と同じ間隔で水をやっていたというから、原因は水切れだろう。葉が傷むのは冬、寒風にさらされているからに違いない。
 なんでもそうだが、要領さえつかんでしまえば、どうということもないのだが、それまでが高くつくケースが多い。
 4時過ぎから楽しい三金会(中学の同級生の集まり)だ。後は白石さんに任せてほいほい出かけてしまう。


2002/4/17(水)
 本来ならきょうから展示会が始まるのだが、今年はもう長いことやっていて、終盤に近づいてきた気分だ。もうジエビネも咲き出してきた。
 水曜日は平均してお客様は少ないのだが、エビネの展示会の初日としては、実に静かなスタートだ。
 おかげで早めにやっておかなければいけない植え替えにせいがだせた。
 閉店間際、初めてのお客様がみえる。ニオイの「青嵐」をみにきたのだが、生憎千葉の方に持っていっていてなし。HPをよく見ていて、楽しみにして来たそうで、申し訳ないことをした。

2002/4/15(月)
 とんぼ返りで鹿児島にとぶ。毎年続けている霧島園のニオイエビネ見物だ。
 ことしは東京より鹿児島の方が桜の開花が遅れたそうで、えびねも丁度見ごろだった。
 いつもながら作りのうまさに感心する。広々とした作場にえびねがポツンポツンと置いてあるといった感じで、こちらのごった返した作場とは雲泥の違いだ。
 明るさもかなり暗い感じで、ニオイは明るすぎるのはよくない、と園主の内村さんはいっていた。
 一昨年注目したピンク花の「霧静香」が立派な木になっていて、あらためてその素晴らしさに驚嘆する。
 昼飯で出された自家製のたくあんとこんにゃくがが実に美味で、それだけでも鹿児島まで飛んだ甲斐があった。


2002/4/13(土)
 川崎のIさんが自慢のニコンF3をもってきて、えびねの花を一日がかりで撮っていた。
 最近えびねを始めたばかりで、どれがいい花なのかわからないといっていたが、ファインダーで覗いていると、花のよしあしが分かってきますねと話していた。
 千葉のMさんもくる。家庭菜園で作ったタカナをどっさり頂戴する。花なしだけれど「天上白」と「御蔵黄梅」をもっていく。
 ことしは冬至芽は細くないのに、花が入っていない株が多く、えびね作りにちょっと自信がなくなったとこぼしていた。
 話をきいてみると、やや暗かったようだ。でも、明るすぎるよりいいし、来年はきっと自信をとりもどすことだろう。
 入間のOさんもきて、Hさんのもつ「島の輝」の中苗をわけてもらっていた。
 表の安いえびねもぽつぽつ出はじめて、いよいよシーズンまっさかりだ。


2002/4/11(木)
 千葉のIさんが一年ぶりにやってくる。4年ほど前に「暁星」の小苗を持っていっったのが大きくなって、花が3本もあがっていたが、残念なことにどれも病気(バイラス)になっていた。
 Iさんにしてみれば、一時的な生理障害であってほしい、という気持ちでもってきたのだろうけれど、残念ながら決定的だった。
 最近始めたIiさんは、自宅の二階ベランダで作り始めたのだけれど、そこがえびねにぴったりのところで、プロ顔負けの素晴らしい作をしている。
 千葉のIさんも、いい場所さえみつかれば、えびね作りほど楽しいものはないだろうに、うまくいかないものだ。

2002/4/9(火)
 えびねの開花がとまらない。ニオイ、コオズは遅咲きのタイプもほころびはじめる。
 展示会は17日からになっているが、明日(10日)からのつもりで、店内のレイアウトを大幅にかえる。
 「天上白」「紫式部」「御蔵式部」「虞美人」「白蓮」「島の輝」などなど、主だったものはあらかたお出まし願った。
 午後は手が空いたので、白花イワタバコの葉差しをする。昨年は時期が少し遅かったのと、おき場所が水の垂れる棚下だったため、8割だめにしてしまった。
 紫と白花は葉差しがきくが、桃花はこれまで成功したためしがなかった。ところが、昨年懲りずにやった5鉢のうちの1鉢が新葉を展開している。
 こんなことは初めてなので、ラベル違いではないかと、かえって心配になる。桃花は株分けにこしたことはない。

2002/4/7(日)
 早めに雨も上がり、昼前から晴れてくる。それが合図のように、Hさんが自慢のニオイ「青嵐」をもってくる。
 まだ最盛木とまではいかないが、特徴はこれまでで一番良くでている。ニオイエビネの王様といっていいだろう。
 Oさんも花をつけた株をもってくる。Hさんとは、えびねでは兄弟のような関係で、早くに子株をわけてもらっていた。こちらはまだ蕾が固く、Hさんのが終わる頃に咲き出す感じだ。
 造園業のIさんは、「紫織姫」の三本立ちをもってきて、居合わせた人たちをびっくりさせる。
 今年はあやしいまでに濃い青紫で、少し赤みをおびた「暁星」が、ごめんなさいと謝ってしまうほどの出来栄え。
 午後はKさん、Yさん、Hiさん、Tさん、さらにはじめてのお客様も数人と、閉店の7時まで賑わった。


2002/4/5(金)
 ニオイ、コオズで早いものは、もう満開の状態になってくる。お客様のボルテージもどんどんあがって、途切れる間がなくなった。
 7時の閉店時間を過ぎても、店を占められないことが多くなって、HPの更新が夜なべ仕事になってきた。
 疲れもたまっていささかしんどい。明日、明後日の土、日はどういうことになるのだろうか。何はともあれ、早く家に帰って休養、休養。

2002/4/3(水)
 ニオイの「黎明」や「豊美紫」を買ったYさんが、自宅で花を楽しむために、えびねを引き取りに来る。
 たまたま「黎明」をだしたHさんが来合わせて、えびねを運びがてら、Yさんの作場の状況をみてあげることになった。
 ところが、話に夢中だった二人は、えびねをつみ忘れて車を出してしまい、自宅に着くまで気がつかなかったそうだ。これもこのところの異常気候のせいか。
 しかし二度手間になったお陰で、Yさんが大事にしている南国ミツバツツジの白花を切り花でいただいた。

2002/4/1(月)
 5月中旬並みの陽気だという。えびねは、パッパッという感じでどんどん咲いてくる。春蘭はすべてご退場願って、店内はえびね一色になる。
 えびねの花がこんなに早く咲いたなんて、昭和49年(1974年)に店を開いてから初めてのことだ。
 このぶんでいくとゴールデンウイークには、もう盛りを過ぎてしまっているかもしれない。これは異常事態といっていいだろう。
 前橋のKさんがニオイの白花を、第二週に取りに来たいと連絡があったが、皮肉なもので、こちらは蕾がやっとのぞいてきたところ。一週間遅らせてもらうほかはないだろう。


2002/3/30(土)
 横浜のHさんがニオイの初花株(未確認)を持ってきてくれる。7、8年前にイモをもっていったのが花をつけた。
 株は御蔵島から直接のものより小さいが、根もいいし、控えもがっちりついている。その辺を考えると、大いに買い得の気がする。
 午後、三橋さんがみえる。あらためてロンドンでは大変な評判だった話をきかされる。タイムズに四段抜きの写真入りで紹介されているのにはびっくりした。。
 来年はニューヨークのラン展覧会に出るよう、強く勧められているそうだ。ここは飛躍するいいチャンスだし、三橋さんも大いに張り切っているようだった。

2002/3/28(木)
 Fさんが「ゴロデーの赤」の二本立ちが咲いたと飾ってくれる。マンションの屋上で作っていて、環境がえびねに最適なのか、実に上手につくる。病気(ウイルス)などでたことがない。
 こちらの咲いてきたゴロデーは、残念ながら病気になっていた。午後一時間ほど西日が当たって、地面に近いところにおいていたら、やっぱりでてしまった。
 えびねはほんとに敏感な植物で、環境が少しでも自分に合わなくなると、かんたんにウイルスの症状をだしてしまう。
 地面に近いところで、自然の風まかせのところは、西日を絶対に当てない方が無難だと思う。


2002/3/26(火)
 月曜日から一泊旅行で、中学の悪友と秩父に出かける。束の間の命の洗濯だ。桜の方は少し早かったが、思わぬ収穫があった。
 昼前、秩父の街中を散歩していて、コーヒーでも飲もうと、しゃれた店に入ったら、知り合いのSさんの店でびっくり。
 Sさんはえびねの大先輩。アマチュアだけれど、Sさん抜きにえびねのことは語れないほどの人だ。秩父でびいどろ美術館を開いたとは聞いていたのだが、ケロッと忘れていた。
 さっそく見せてもらって驚いた。びいどろの知識はまったくないが、入館料800円を損したという気にはならなかった。見るうちにぬくもりと安らぎがわいてきて、少し勉強してみたい気持ちになった。
 内蔵のある旧家を改装して美術館にしているのがまた実にシックで、悪友どももこのハプニングに大いに満足していた。 

2002/3/24(日)
 昨日から少し寒くなって、えびねの動きが止まっている。ちょっとほっとするような気もする。春蘭からえびねへの切り替えに少しは時間が欲しい。
 昨年からえびねにボルテージがあがっているYさんがくる。団扇のような葉のニオイが欲しいという。
 たまたまHさんが来ていて、「黎明」が条件にぴったりと勧めたものだから、早速その気になっていた。
 昨年宮崎の豊美園から入れた「豊美紫」も、ニオイそのものといった木姿だったので、こちらの方は即決だった。

2002/3/22(金)
 欅窯の三橋さんから電話があって、昨日ロンドンから戻ったそうだ。あちらの園芸フェアーでの東洋志向は大変なものらしく、打診用に持っていった鉢は、予想以上の好評で大変だったらしい。
 鉢を置く花台まで売らないのか、と訊かれたそうで、本番への自信を深めて戻ってきたという。
 「日本の三橋」がイギリスで高く評価されたら、これまで三橋ファンを育ててきた甲斐があったというものだ。
 偶然にも三橋ファンのYさんが来て、売約にしていた黄磁六角蘭鉢を持ち帰る。素晴らしい出来のもので、私が欲しいくらいだった。


2002/3/20(水)
 えびね展の案内状の原稿をつくる。レイアウトの方は、覚える気がまったくないので、白石さん任せだ。
 今年はえびねの開花が確実に早そうなので、案内状も少し早めに出した方がいいだろう。
 店内にも、えびねがだんだん増えてくる。花の入っていない株で、植え替えた方が良いものは、ためらわずに新しい用土で植えなおす。
 お客様の少ないときは、つぎつぎ仕事があって、かえって疲れてしまう。

2002/3/18(月)
 土曜日に締め切った人気コンクールの結果が昨日出て、bP賞はNさんの「春鶯曲」(蓮弁桃花)ときまった。
 次点は1票差の「雲南雪素」で、これは私の出品なので、てれてしまった。
 「緑雲」が健闘して3位に入ったのはさすが。コンパクトな木に仕立てて、花は2本とも双頭花で、勢いがにじみでている。Oさんの傑作だ。
 きょうから冬の水遣りを春のそれに変える。これまではフレームと外とでは水遣りの間隔を変えていたが、これからは戸は全開したままにするので、一斉になる。
 4・5号までが大体4、5日に一度、5号が5、6日、5・5号と笠間鉢が一週間に一度、そして大鉢が9日に一回の目安で、たっぷりかけてやることにしている。
 9時から水遣りを始めて終わったのは午後の2時すぎ。途中、やむを得ぬ中断があったにしても、正味3時間以上かかった。
 東洋蘭の植え替え用の混合砂が、残り少なになったので、マルチランドを入れてくる。
 これからはウチョウランの砂も必要になるだろうから、SSという極小のもついでに買ってくる。明日はまた砂作りだ。


2002/3/16(土)
 昨日ほどではないが、暖かい日がつづく。17日までの人気コンクールも、花の終わりが早いので、一日繰り上げてきょうで締め切る。明日の集計でどういう結果が出るか。
 旧制高校の先輩Tさんが、学研のSさんも、展示してくれていた鉢を引き上げにくる。
 この人たちのお陰で、何とか見られるような展示会ができるのだから、足を向けては寝られない。
 今年の日本えびね協会展のポスターが送られてくる。4月22日(月)〜24日(水)伊豆の一碧湖美術館だ。うまい具合にこちらは定休日なので、初日に出掛けることになるだろう。


2002/3/14(木)
 きょうも暖かい。戸を目一杯あけて春の風を入れてやる。そろそろ冬の水遣りを春のそれに変えてよさそうだ。
 手始めにえびね。これからは3日に一度の割合でやっていくことにする。どぶ漬けなので水切れの心配はないが、水の減り方が冬場に比べてだいぶ早い。
 夕方、久しぶりに千葉のTさんがみえる。学研のSさんが持っている豆弁蘭の良花(まだ名はない)の古木ぶかしをご機嫌で持って帰る。
 Kさんも来て、こちらは人気コンクールにだしていた日本春蘭を引き上げる。加盟している愛蘭会の展示会に出品するためで、「賞品の鉢はあきらめるよ」と苦笑いしていた。


2002/3/12(火)
 毎日暖かいので、春蘭の花がだいぶくたびれてきた。人気コンクールのほうも17日までもちそうもない株がでてくる。
 花より人の体の方が大事だといって、暖房をがんがんかけていたのに、ここにきて我慢する日が多くなっている。現金なものだ。
 栃木からウチョウラン用の配合砂を送ってくる。硬質鹿沼の細かいのが主体で、ゼオライトやコケ類が微塵にして混ぜ込んである。
 現地ではみなこれを使っているとのことだが、なんとなく引っかかるものがある。砂はやはり自分で配合したものを使いたいと思う。


2002/3/10(日)
 一昨日来た外国の女の人が、中国春蘭の「翠荷素」を買っていく。あらかじめ電話で値段をたしかめたうえで、蘭作りに挑戦するのだという。
 アメリカ人と思っていたらイギリス人で、日本に来て三年半になるそうだ。日本語も達者だ。
 外人の年は分かりにくいが、まだ二十台か三十もごく前半の感じ。先日の先生に書道を教わっているという。
 アメリカやヨーロッパでの盆栽ブーム、それに東洋蘭がことし大量にアメリカに輸出されたという話もあり、これは侘び寂びの世界に、欧米人の関心が高まってきたということか。


2002/3/8(金)
 古希を過ぎてから三度目の誕生日。親父の年まであと3年、あっという間にここまできてしまった感じだ。
 例によって、きょうからウチョウランの水遣りが始まる。私にはこの日が“啓蟄”(実際には6日)にあたる。
 新芽が顔をのぞかせるまでは、水切れは禁物だし、東洋蘭やえびねの方も、水をやる回数が増えてくるので、これからは気忙しい毎日になる。
 前に中国春蘭の「唐紫苞」を買っていった女の人が、師事している中国文学の先生や仲間を連れて来店する。
 先生は「宋梅」が大変気に入って、1鉢買っていく。嬉しかったのは蘭寶ャ史の日本語版が2冊もでたことだ。
 人気コンクールの最中だったので、もちろん投票してもらう。一緒にいたアメリカ人(多分)の女性の票が気にかかる。


2002/3/6(水)
 外科医のK先生が1年ぶりに来てくれる。寒蘭と春蘭の展示会の時は、かならず何点か飾ってくれていたのだが、昨年は仕事が忙しくて水遣りが思うに任せず、暑さも手伝って、寒蘭をだいぶダメにしたそうだ。
 その点、春蘭の方が強かったようで、3点ほど持ってきてくれた。相変わらず素焼鉢にモミガラ燻炭植えで作っている。
 千葉の織戸園芸さんがぶらりと寄る。結婚した娘さんが、ここからあまり遠くない祐天寺に越したので、そこに行った帰りだそうだ。
 ことしも御蔵からニオイを入れたのかと聞いたら、入れなかったという。昨年入れたのが半分以上ジエビネに近いコオズで大損させられたそうだ。ちょっとひどい話だ。
 御蔵の場合、ハモグリバエの被害もあるし、仕入れ値も高いから、われわれ業者もなかなか扱いにくい。


2002/3/4(月)
 しばらく見ていなかったら、えびねの花芽が大きく膨らんでいるのにびっくり。頭が割れて蕾が見えそうなのもいくつかある。ことしも暖冬だと実感する。
 でもこのまますんなり暖かくなってしまうわけはあるまい。終わってみれば平年並みなんてことになるのではなかろうか。
 それはともかく、伸びるには水が欲しかろうと、どのえびねにもたっぷりかけてやる。
 陽だまりで、植え替え用の東洋蘭の混合砂を作る。マルチランド3、赤ボラ3、日光砂4、それにゼオライト少々の割合。中粒と化粧砂をほんの少々作っただけなのに、今夜はマッサージさんのお世話になりたくなる。

2002/3/2(土)
 午前中は三重のKさんたち、午後は大阪のお客様が来てくださる。PCのおかげでお客様の地域が広がっている。
 どちらも人気コンクールに投票してくれて、私たちを嬉しがらせてくれた。投票の数が多ければ多いほど、励みも増すというものだ。
 今年は「松村雲南雪素」がやけに白く咲いて、投票者の目を引き付けている。「松村月珮素」も、本物の「月珮素」かどうかは別として、大きな、雰囲気のある花だ。
 純素心でなく桃腮素になっているので、なんともよくわからない。ずいぶん前から「松村月珮」は「老文団素」と聞いていたが、どちらであっても桃腮素だという話は聞いたことがない。

2002/2/28(木)
 一ヶ月に一度の定期健診で、午後から病院へ。午前中は水遣りに追われる。前夜からの雨が中途半端だったので、外の鉢にもたっぷりやり、けっこう時間がかかってしまう。
 病院から戻ったのが六時前。お客様から「彩雲同楽梅」のことでメールがはいっていた。中国では10年ほど前に「新春梅」として展示されたものが、実は70年前に盗難にあった「彩雲同楽梅」だった、ということになっているそうだ。
 蚕蛾兜は「西神梅」よりはっきりと深く、明らかに別物とみえるが、70年前に行方知れずになった花を、だれがどう証明したのだろうか。


2002/2/26(火)
 Hさんがもっている「彩雲同楽梅」が咲き出した。蘭寶ャ史によると、世に出てから、三年後に盗まれてしまって、行方知れずとある。
 そんなものが日本で増えていたなんて、ちょっと考えられないが、自分もK先生からまだ花未確認の株を分けてもらっている。
 咲いたところは「西神梅」と瓜二つにみえるが、蘭寶ャ史によると、「彩雲同楽梅」は蚕蛾兜で、大輔円舌、「西神梅」はうちわ形浅兜の劉海舌とある。しかし、この判別は至難の業のようだ。
 寒蘭の「室戸錦」と「緋燕」みたいなもので、同じと見れば同じだし、違うと見れば違って見えるようなものだろう。
 収穫は「翠鶴」だ。K先生が昨年展示してくれたものを、一年間作らせてもらって、今年も咲き出したが、これは本物とみた。後ろに反りたがる悪い癖はあるが、名品の風格は十分だ。


2002/2/24(日)
 東京ドームの蘭展を見た帰りに立ち寄ってくれるお客様が多い。Hさんもその一人で、本物と思われる「憲荷」が、一箇所だけあったので、手に入れてきたという。他はみな「拱宸大荷」だろう、といわれているデカ花を、「憲荷」で売っていたそうだ。
 学研のSさんも、ルソン島のシンビで樺色の筋花と、豆弁蘭の掘り出し物をぶらさげて寄る。ルソンのシンビは、私が昔から持っているネグロス島のとよく似ているが、全体に木がソフトで、花期も6月でなく、いま咲いているのが違う。
 TさんとMさんがコンクール用の鉢植えをもってきてくれる。最近は見たことがなかった「小胡蝶」があったのでびっくり。いまの「珍蝶」は、むかしは「小胡蝶」が正式名だったそうだが、紛らわしいので俗称の「珍蝶」で区別されて、今日にいたっていると聞いている。


2002/2/22(金)
 昨日は千客万来で、閉店までほとんど、休む間もなかったのに、きょうは一転して静かなもの。おかげで水遣りも、急き立てられてやらずにすむ。
 27日からの人気コンクールの出品のことで、問い合わせがあったのは、嬉しい限りだった。問い合わせは今年が初めてで、すでに三人ほどからきている。ようやく関心をもたれはじめたとみていいか。
 売り上げゼロかと心配していたら、閉店間際に中国春蘭の「天司晃」がでる。買って行ったのは、最近きはじめた中年前の女性。「雲南雪素」の株立ちが開き始めたのをみて、「次はこれにしたい」と、魅せられていた。


2002/2/20(水)
 首と肩が重く、朝からなにもする気にならない。かぜを引いたようだ。外は四月のような暖かさだというが、なんとなく薄ら寒い。
 幸いお客様も少なく、白石さんも定時で帰ったので、ヒーターにかじりついてうつらうつらすることが多かった。
 午前中はやはり衆院予算委の田中前外相、鈴木議員のTV中継を見てしまう。田中さんの高い人気がまだまだ続くのだろうかと、ふと思ったり、鈴木さんには、よきにつけ悪しきにつけ、したたかな代議士の印象をもった。

2002/2/18(月)
 九州のFさんから嬉しいメールが来る。昨年の今頃、上京のついでに来店して、求めていった「春一品」が咲いたと、写真を送ってくる。たった3条なのに、かわいく咲いていて、よくぞ花をつけたものだと感心する。
 あちらは3条でも花をつけるのに、こちらは花つきが悪く、一鉢にやっと1花なんてのが多く、どうにもさまにならない。この違いはどこから来るのだろうか。
 このところ安易にプラ鉢を使いすぎるので、久しぶりに利山工房から楽鉢を仕入れる。すぐに発送したとのメールが入り、ついでに自分のHPにリンクしてくれた。うれしかったので早速こちらもリンクさせてもらう。


2002/2/16(土)
 旧制都立高校の先輩で、蘭の方でも大先輩のTさんが、前の日に15鉢ほど、展示品やら売品をもってきてくれて、店内は俄然にぎやかになる。日本春蘭の「日輪」がいい感じで二つ蕾をあげている。
 この日は中国春蘭の「玉梅素」と「唐紫包」のお嫁入りが決まる。中国春蘭の愛好者が増えていくのは大変結構だ。
 午後、学研のSさんが、いまHPの表紙を飾っている、豆弁蘭の古木ぶかし苗をもってきてくれる。20センチほどの3枚葉の新芽1本だが、挑戦する人がいなければ、自分で作ってみるつもりだ。これで匂いがあれば本当にすばらしいのだが。


2002/2/14(木)
 老後の楽しみに香りのよい中国春蘭をやろう_そう決心して、昨年も世話になったという目黒のIさんが来て「緑雲」「翠蓋」など数点求めていく。
 予期せぬ売り上げに、蘭寶ャ史の日本語版をプレゼントする。蘭の世話をした後、日当たりのよい座敷で蘭寶ャ史をひもとくIさんの姿が目に浮かび、なんとなくうらやましくなる。
 この日は他にも何点か中国春蘭がでたり、杭州寒蘭まで売れて、明るい気分になる。たまにはこんな日があってもいいだろう。

2002/2/12(火)
 きょう(13日)から春蘭の展示会が始まるというのに、品川に住む中学の同級生らと、同区の伊東の保養所に一泊どまりで昨日から遊びにいってしまう。昔ならこんなことは絶対にしなかったが、それだけ商売に熱心でなくなったのかもしれない。
 それにしても、風呂は流しが滑らないようにできていて、お湯も程よく、朝夕の食事もおいしくて、大いに満足する。
 行きは河津桜のお花見、帰りは曽我の梅林に寄る。ここでは満開の強い香りに圧倒されると同時に、平日の割りに人出が多いのにも驚かされる。
 梅林の人に友人が、紅梅と白梅の実は味が違うのか、と訊いたら、紅梅は実をつけないとの返事だった。恥ずかしいが知らなかった。

2002/2/10(日)
 近くのHさんが中国春蘭の「憲荷」をもってきてくれる。まだ蕾の状態で開いていないが、本物の「憲荷」を持っていないので咲くのが楽しみだ。
 いま憲荷で巷に出回っている花は、デカ花で、今ひとつ名品の品位にかけているような気がするのだが、10年ほど前、世田谷区民会館の春蘭展で、松村さんが出品した「憲荷」は、無条件で名品の風格をみせていた。
 Hさんの話では、デカ花憲荷ではないそうで、入手経路から見て松村憲荷の可能性が高い。


2002/2/8(金)
 滋賀県のIさんという方が突然見える。HPをみているうちに、チャンスがあったら行ってみたいという気になったそうで、上京のついでに足を伸ばしたという。
 HPをほめられ、恥ずかしくて穴があったら入りたいところだったが、聞いてみると、イワチドリのマニアで、旧名品(天然もの)を必死に集めているのだそうだ。
 交配だらけの中で自然と旧名品に惹かれるようになったのが、私と相通じていたので、どんな店なのか興味がわいたらしい。
 興味といえば、最近イワチドリも扱ってみたい気になっていたところなので、こちらも大変参考になって、充実した一日となった。

2002/2/6(水)
 昨日は大学時代の同級生三人が遊びに来る。三人とも既婚の女の人。大学を出てからもう50年の歳月が流れて、お互いに爺さん婆さんになったが、年の割には顔も若いし、気持ちも若い。
 遊びに来てくれた御礼に、楽鉢に入れたイトランの素心を三人にプレゼントする。ありがた迷惑だったかもしれないが、「一生懸命挑戦してみる」と、うれしがらせてくれる。
 数年前、旅で知り合った女性に、やはり蘭をプレゼントしたら、毎年上手に花をつけて、いまではご主人ものめりこんでいる。
 さて、三人はどんな結果になることやら。

2002/2/4(月)
 商売とは関係ない雑用が一週間のうちに結構たまって、折角の休みの日ものんびりできない。
 近所に出かけることも多く、店のほうの仕事は、東洋蘭を植える混合砂の中粒を自家用分作っただけ。栃木から悪くないという日光砂をテストでいれたのだが、いまひとつ粒が小さいのが気に入らない。
 自己満足できる砂ができないと、作りのほうもうまくいかないような気がして落ち着かない。

2002/2/2(土)
 年が明けると当然のことだが、店内は春を呼ぶ春蘭が幅を利かせてくる。そんな中で、今年は杭州寒蘭の遅咲きが一月いっぱいがんばっていた。
 こんなことはいままでなかったことだった。しかしいつまでも咲かせておくわけにはいかないので、この日全部作場にもどす。
 いま寒蘭で咲いているのは、台湾の「白鷺」という素心。舌もしっかりしていてまだ当分は居座っていそうだ。
 白石さんは13日からの春蘭展の看板作りをはじめる。デジカメで背景に使う蘭を撮り、カラーコピー機で拡大してもらって、さてどんな傑作が出来上がるか。

2002/1/31(木)
 具合の悪かったDMの印刷、どうやらなんとか刷れそうになる。器械に滅法弱い私は、いらいらするばかりで、白石さんもずいぶんやりにくかったことだろう。
 病院から夕方戻ったら、刷り上っていて、発送すればいいばかりになっていた。刷り漏れがあったのは2件だけというから、まあ上出来だろう。
 病院のついでに、日本橋の三越でやっている日本中国蘭協会の春蘭展をみてくる。東洋蘭人口の底辺を広げるために、理事長の神谷さんが、親しみやすく、また分かりやすく解説していたのが印象に残った。


2002/1/29(火)
 東洋蘭の5、5号鉢と笠間鉢、それとえびねに水をやる日。冬の水遣りは温室とそれ以外で分けていて、この日は温室は入っていない。
 冬は10日に一度の割で水をやっているが、お客様の感想は辛いという声が強い。しかし水遣りの回数をこれより多くすると、根をやられているケースがあるので、自分ではこれでいいと思っている。
 凍らない程度に加温している温室の蘭は、5、5号で一ヶ月近くやらないほうが結果はいいようだ。
 勿論よく乾く作場と乾かない作場では、水遣りの回数が違ってくるのは当然。水遣り三年、といわれるが、二十数年たったいまも、まだ迷っているというのが本音だ。


2002/1/27(日)
 荒れ模様の天気も、昼過ぎには急速によくなって、日も差してくる。Hさんが昨年も展示してくれた、八重咲きの朶々香を飾ってくれる。「舞姫」という奇花ももってきてくれる。
 奇花が好きな人は多くないが、かれらは奇花なら手当たり次第に欲しがる傾向がある。出始めの奇花が高価なのは、そんなところに理由があるのかもしれない。
 商社マンだったYさんが久しぶりにみえる。中国への出張のときには、よく露天で蘭を買い求めてきた人だが、松村雲南雪素が欲しいと買っていく。
 同じ作るなら、似て非なるものかもしれないものより、確かな、間違いのないものをやるように心がけたいものだ。本物志向のご指名がうれしかった。

2002/1/25(金)
 若い女の人が昼ごろ立ち寄って、イトランの白花を求めていく。店の前を何度も通っていて、始めは商売とは思わなかったらしい。東洋蘭は育てるのが難しいとも聞いていたのが、普通の草花よりむしろ楽といわれて、挑戦してみる気になったようだ。
 同じ女性同士で白石さんも熱心に勧誘、HPも作っているのでぜひ見てくださいと宣伝していた。
 続いてHPで知って、上京のついでに寄ったという愛知の男性がくる。昨年中国に行った時に上海の露天で、8種類のらんを3千円に値切って買ってきて育てているそうだ。宋梅や翠蓋もあったというから、大いに買い得だったようだ。
 来店した記念にと、杭州寒蘭と中国春蘭の根巻きを買っていった。

2002/1/23(水)
 新しく買ったプリンターが具合が悪く、修理にだすことになる。DMを早めに印刷し始めたから、あわてないで済むが、時間がなかったら大変なことになる。
 前の印刷機も故障して、有料で直したものの、結局は使わずじまいで新しいのに替えてしまったり、PCも三年せずに買い換えることになったり、どうも昭和の一桁には、得心がいかないことが多い。
 夕方、白石さんから電話で明日休みたいといってくる。理由はPC。よくわからないが、具合の悪いところがいくつかあって、このまま使っているとPCが壊れてしまう恐れがあり、一日かけて初期化するのだそうだ。
 一番暇な時期なので店のほうに支障はないが、ご苦労なことだ。

2002/1/21(月)
 朝から雨で、午後の3時ごろからは、雷も派手に鳴って、大荒れの天気になった。おかげですっかり乾燥から開放される。風邪のほうも一服することだろう。
 きょうも一日完全休養日。宮城の人に頼まれた中国春蘭の「集円」と「老代梅」の荷造りをしただけ。
 暖房を効かした部屋でうつらうつらしていたら、浜ちゃんが嵐がひどくなる直前に押しかけてきて、コーヒーを飲んでいった。

2002/1/19(土)
 京都の宋梅会のYさんが、上京のついでに立ち寄ってくれる。蘭恵小史があるのをみて、友人に分けてあげたいと5冊買っていく。「西湖梅」の花付も目ざとくみつけて、コレクションに加えていた。
 千葉のTさんもやってきて、まだ元気に咲いている杭州寒蘭の素心「月牙泉」をようやく引き上げる。捧心の上部の覆輪が非常に深く、眉毛が真っ白な、品のいい翁を連想してしまう。杭州では好きな花の一つだ。
 大学で同級生だった女史3人が、来月上旬に店に遊びに来るとメールが入る。なんだかわくわくする。さっそくお土産にイトラン素心の楽鉢植えを三つ早々と作る。

2002/1/17(木)
 今年の展示会のスケジュ−ルをのせたDMをきょうからプリンターで刷りはじめる。昨年までは印刷屋に頼んでいたのだが、新鋭の武器を使わない手はないと、白石さんにデザインしてもらった。出来栄えは上々で、むしろずっといいように思う。
 1200枚は一日では刷りきれないが、早手回しにやれば不都合はない。どんどん使わないと、元を取らないうちにまた買い替えてなことにならないとも限らないから、白石さんも心得ている。古いのに比べると今度は音も静かだ。
 私の方は来月の春蘭展にそなえて、植え替え、株分け、値付けなど夕方まで目一杯働く。


2002/1/15(火)
 
息子の結婚式やもう一人の息子の転職などで、さすがに疲れ果てて、休みを幸いに一日中だらりとしたまま。店にも行くことなく、本日は完全休業。

2002/1/13(日)
 中国春蘭の「万字」が、昨年の後半辺りから急速に、値上がりしているらしい。きょう見えたHさんの話では、花つき株は1芽2万円だそうで、うそーと思わず口をついてしまった。
 「万字」は昔から本物が少なく、希少価値は確かにあるのだが、中国蘭の相場の下落とともに、欲しがる人も減っていただけに、信じられない急騰ぶりだ。
 とてもそんな価格に便乗する気にならないので、先日は千葉のTさんに松村万字を、きょうもOさんに黒崎万字もつけて、買っていただいた。
 ぶな窯の五百沢さんから、「集円」が欲しいといってきたが、二年前に盗難にあって在庫なし。Oさん始め二、三の人に増えていたら少し譲って欲しいと声をかける。

2002/1/11(金)
 朝、作場を見回っていたら、朶々香の「桃紅美人」がもう咲いているのに気がついた。いい香りで桃紅色もすっきりしている。花形はやさしく、撫肩の美人といった風情だ。
 さっそく化粧鉢にいれて、道を歩く人にも見える正面にかざる。不思議なもので辺りが急に締まった感じになる。年が明ければやはり、もう春蘭の季節なのだろう。
 夕方、フルート奏者で学校の先生をしているAさんが見える。教育ではほとほと悩みが多いらしく、もう辞めたいとこぼす。学級崩壊を経験した教師が30%もいるという話も最近聞いたことがあるが、、これからの教育界は一体どうなっていくのだろうか。


2002/1/9(水)
 7日の朝昼晩では、読みづらい思いをさせて、申し訳ないの一語に尽きる。新しいPCの扱い方に慣れていないので、どうしても文字が縦書きになってしまって、直せなかった。
 こんなときは、はじめからやり直すといいのだそうだ。いままでこんな経験をしたことがなかったので、そこまで気がまわらなかった。
 白石さんは、私ができるだけPCを使いやすいようにしようと、朝からかかりきりでいろいろ設定してくれる。原稿をうつだけで、他の事は一向に覚えようとしない男だから、白石さんも大変だ。
 春蘭の展示会はまだ一ヶ月先だが、少しずつ寒蘭との入れ替えを始める。奥地の蘭が意外と成績がよく、花も上がっているので、すぐ展示できるように枯葉を整理したり、上砂を新しくしたりする。

2002/1/7(月)
 前日の日曜日に浜ちゃんが初来店。気仙沼のUさんが、浜ちゃんのためにわざわざ送ってくれた銘酒「浦霞禅」を、独りで飲むのはもったいないと、みんなで分かち合って初春を祝う。ルーペのSさん、千葉のTさんも左利きで酒に詳しい。
 甘口の「浦霞禅」は、その世界ではなだたる銘酒のようで、簡単には手に入らないのだそうだ。
 白石さんの妹さんの嫁ぎ先が茨城の日本料理のお店で、ご主人が宮城出身なので、お酒はこの「浦霞禅」一本にしぼっているそうだ。
 きょうは寒い定休日となったが、午後から白石さんが、エプソンの新しいプリンタを買って届けてくれたり、えびね、ウチョウランの水遣りなど、そうそう寒いとはいっていられなかった。


2002/1/5(土)
 仕事始め。昨年Hさんからいただいた秋田上小阿仁村の地酒「コアニチドリ」をお神酒に用意して店開き。一番乗りは神奈川のIさんだった。PCのことで大変お世話になり、これからもいろいろ面倒を見てもらわなければいけない人だ。
 白石さんは、新しいPCに早く慣れなければいけないので、早速つかまえて長いこと教えてもらっていた。
 二番手は旧制高校の先輩Tさん。さらにプロのカメラマンYさんと助手のM女史。みんな知り合いなので話がはずむ。
 初めての方も見えて、杭州の濃色のグリーン花を求めていく。調布の方でPCで私の店を知ってきたのだという。縁起のいい初売り上げに、PCの導入をしつこく勧めた白石さんが、得意げな顔で胸をはり、それを見た周りの人たちがどっとはやしていた。



top   目次   朝・昼・晩   バックナンバー

えびねと東洋蘭の店 すずき園芸